『月曜日、練習ないんだ。珍しいね』

恐らく相手は榊先生だろう。真っ黒なケータイをポケットにしまう彼向かって何気なくそう声をかけると、彼がその鋭い目線をちらりと私の方に向けたので、心臓が僅かにドキリとした。けれど、すぐに視線は外されて、かわりに腕組をして眉間に僅かにしわを寄せたまま、短めのため息を一つ。もしかして今のは私に対してだろうか。

『…さすがに、個人云々ならまだしもレギュラー全員ともなると、どうにもならねぇからな』
『…何が?』
『………』

彼の言葉の意図するものがさっぱり読めず、私が多少は申し訳なさそうにしつつも正直に首をかしげると、彼はもう一度私に疑わしげな視線を投げる。ああ、あの目は完全に呆れている。というか、馬鹿にされている。けれど、本当に分からないのだからどうしようもない。そう思ってずっと彼の方を見ていると、再び、今度は先ほどよりも長めのため息が、一つ。

、月曜は何月何日だ』
『え?…2月の、じゅうよっ…あっ』

突然の閃きと同時に素っ頓狂な声をあげた私に、跡部くんは本当に、呆れた顔をしていた。




さて、そんな木曜日が終わって、三連休に突入。「週末は全国各地で気温が下がり、雪の降る地域も多いでしょう」という気象予報は見事にどんぴしゃで、外はどんより曇っており、吹き抜ける風がとにかく凍えそうな程冷たい。そんな中、なぜか珍しく休日に外出している私。何故、よりによってこんな寒いときに外出ちゃったんだろう。と、若干後悔しつつも、ここまで来たら目的を果たそうと身を縮めて前に進む。コートじゃこの風は凌げない!と思い、ロングダウンを着て、マフラーも耳あても手袋もして、厚手のタイツにウールの靴下を重ねてブーツを履いて来たけど、それでも寒い。

「うう…顔が冷たい」

そう言って必死にマフラーに顔をうずめようとするものの、さすがに顔全体を覆うことは出来るはずもなくて、恐らく鼻の頭が赤くなってるんじゃないかなぁと思った。

「あー…チョコ買いに行くのも、大変」

思わず、一人でそんなことをぼやいてしまった。そう、この寒空の下、バレンタインのチョコを買いに来たのです。誰に。それは、生徒会長様サマの跡部くんにです。どうして。

「…何してるんだろう、私」

『らしくない』、あんまり使わない表現だけど、今の私を表すにはぴったりだ。だって、本当に私らしくもない。こんな寒い日にわざわざ外出して、バレンタインのチョコを買いに行くなんて。こんなの生まれて初めての経験だ。お父さんにだってこんなことしたことない。それなのに、何故。どうして跡部くんに。分からない。彼女でもないし、ましてや恋心を抱いているわけでもないのに。

「あげる必要なんて、どこにもないのにね」

誰に話しかけるでもなく、自分向かって小さく呟く。歩くスピードが若干落ちた。


そんなことを考えながらも、駅前のデパートに着いた私は、煌びやかに立ち並ぶチョコの飾られたガラスケースを大勢の女性の波に紛れ込んで覗き込んだ。箱詰めの可愛らしいチョコが、華やかに並んでいて、思わず「カワイ〜」と口元が綻んだ。とりあえず端から順に眺めていき、商品とデザインを見ながら、ぼんやりと頭の中であげる理由を考えた。

義理チョコで、いいじゃなか。もしくは友チョコ的な感じで。生徒会長と副会長で、しょっちゅう一緒に仕事をしてきた仲なんだから。いわゆる、『お疲れ様です。いつもお世話になってますチョコ』というやつだ。会社の若い女性社員が、同じ部署の先輩や上司に配るアレと同じ。そう考えると、案外しっくり納得できたので、私は少しウキウキとした気持ちでその『部下から上司へチョコ(同い年だけど)』を選び始めた。

「あ、アレきれい」

ふと、ガラスケースの端にあったチョコに目をとめる。こじんまりとした正方形の箱の中に、ダークチョコっぽいものが3つと、一つだけ濃いピンクでバラの形をしたチョコが入ってる。箱のデザインもこげ茶にピンクのリボンとシンプルだけどシックなものだ。洋菓子ではそれなりに高級で名の知れたとこのチョコなのだが、お値段は意外にもお手頃。このクオリティーで500円ちょっとは素晴らしい。

「甘いものそんなに好きじゃないだろうしなぁ。3つはダークっぽいし、まぁバラのやつがちょっと甘いくらいはOKだよね」

何より、そのバラが跡部くんのイメージにピッタリだ。一人だけ、ひと際華やかで、輝いている。一見繊細そうだけど、堂々としていて、実はかなり強いその花が。

「バラ似合うし、決まりかな」

値段的にはあまり高くないけど、ここのメーカーなら失敗なんてことはないだろう、と私はそのチョコに決めた。


箱のデザインと同じく、袋全体はコゲチャで、持つ部分がリボンと同じピンク。跡部くんにはシンプルすぎるかなと思わなくもないけれど、個人的にこの凛とした雰囲気が何となく気に入っていたので良しとした。手袋をした手で、振り回さないようにそっと持つ。用事は済んだことだし帰ろうとしたけれど。

「…ついでにスーパーに寄って買い物をしてくかな」

お父さんのチョコも、可哀そうだから用意してあげよう。というのは建前で、チョコを眺めていたら自分も食べたくなってしまっただけのこと。けれど高級なやつをおやつに買う気にはなれないし、あの何を食べても「ウマイ」としか言わない父親に買うのも馬鹿らしい。ここはブラウニーミックスでも買って家で焼くことにしよう。粉とケーキ用マーガリンだけ買えば、卵は家にある。

そんなこんなで、片手にそこそこ高級なチョコ、反対の手にはスーパーの袋を提げて、私は帰路に立った。


「うわ、こんな寒い日に部活やってるとこあるんだ…」

帰り道、学校の近くを通ると正門が開いており、少し離れたところにあるグランドに人がいるのが遠目からでも分かった。驚きを通り越して感服する。こんなむっちゃ寒いのに、運動部すごいなぁ。にしても、まさか門が開いてるとは予想外だった、と思わず立ち止まる。私服だし、変な恰好ではないけど、これだけしっかり着こんでるところを万が一知り合いに見られると恥ずかしいしな。

「…ぐるっと回って帰ろう」

よし、と180度方向転換して足を踏み出そうとした時だった。

か?」

反射的にパッと振りかえってしまい、激しく後悔してももう遅い。ああ、最悪。よりによって…どうして。

「アン?私服じゃねーか。買い物か?」
「…跡部、くん…」

ジャージ姿の彼は、相変わらず悠々と、いや、堂々と腕を組んで、こちらを見ていた。反応に困った私は、このままダッシュで逃げ切ればどうにかなるかも…と頭の中で考えていたが、その間に跡部くんが長い足をわざわざ動かして、あっという間にすぐそばまで寄って来た。

「お前、防寒完璧だな」
「…だって、寒いじゃない。跡部くんは、部活か」

笑いもせず見たまま淡々と言う跡部くんに、潔く諦めた(どうせ向こうもジャージだ。)私はきちんと向き直って、全く寒そうじゃないその整った表情を見上げる。ジャージで帰るなんて珍しいなと思ったけど、そうか、休みだからジャージで登下校出来るんだっけ。

「もう練習終わったの?」
「あぁ」
「そっか、寒いのにお疲れ様」
「まぁ、そう寒くもねーけどな」
「あはは、そりゃ練習後だもんね」

他愛ない話に笑っていると、ふと跡部くんが視線を落とす。私は何だろう、と不思議に思い、その視線の先を辿った。綺麗な彼の目が真っ直ぐと見つめているのは、私の手元だ。

(あ!チョコか!!)

渡す相手を目の前にしながらすっかりその存在を忘れていた私はぎょっとして、慌てて跡部くんの視線からそれを隠そうと後ろ手にそれを引っ込める。が、気付かれた時点でもう遅いわけであって、私のあからさまな行動に彼が気付かないはずがない。跡部くんは視線だけを持ち上げて、真っ直ぐとこちらを見る。鋭い双眸に射抜かれ、さらにその表情が笑いもなにも無く、居心地が悪い。

「チョコか」
「う、え、あ、うーん…と」
「チョコだな、隠してもおせーよ」
「アハハ…」

フン、と鼻を鳴らし、呆れたように跡部くんが腕を組む。私だってこのキング相手にこんなやり方で今更隠せるとは思っていない。ただ、出来るだけ誤魔化して、出来ればあんまり話題にしてほしくないという心境を察してほしいだけだ。

「お前がチョコ買いに行くとは意外だな。こんな寒い日に」
「まぁ…折角休みだし、行ってみようかな〜って思ってね…」
「ふーん」

跡部くんはチラリと視線を下げて、もう一度私が持つそれを見ようとする。誰にやるんだ、とは聞いてこない。普通は茶化して意地悪くそういう風に聞くものじゃないのだろうか。まぁ本人に聞かれても答えにくいだけなんだけど、それでもこれはこれでかなり居心地が悪い。

「…」
「…」
「…」

沈黙に、耐えきれそうに、ない…!
私は痺れを切らし、跡部くんに向かって手に持っていたソレを突き出した。

「こ、コレ、…って、アレ!?ちょ、コッチじゃない!」
「…何がしたいんだお前は」

うっかり間違えてスーパーの袋を差し出した私は自分の行動に自分で驚くという間抜けっぷりを発揮し、跡部くんが呆れた声を零す。ああもう、カッコつかないなぁ!と思うと同時に、なんとなく、吹っ切れた気がして苦笑してしまった。

「なんか、ホントごめん…こっちね、正しいのはこっちのちゃんとした方」
「……俺に、か?」

きょとんとした顔が、珍しくて、カワイイ。時折見せる彼のこういう表情が、私はかなり好きだった。カッコイイと騒がれる上に、意外なところでカワイイのだからある意味相当タチが悪い。

「うん、ホントはちゃんと当日渡すべきなんだけど…こんなところ見られたら、後々渡すのもねぇ。ちょっと早いけど、受け取って貰えるかな?」
「…あぁ」

ゆっくりと跡部くんの腕が伸ばされて、僅かにお互いの手が触れ合い、チョコが彼の手に渡った。少々恥ずかしいものの、ちゃんと渡せてよかったと安心してしまう。折角だから、日ごろの感謝も、ここで言うべきだろうか。

「えっと、いつもお疲れ様。部長も生徒会長も、どっちか片方だけでも忙しいのに、両方を完璧にやってのけちゃうところは、本当にすごいなぁと思う。でも、あんまり頑張りすぎないでね。頑張ってる跡部くんは素晴らしいと思うけど、何でも自分でやろうとするんだもん。部活のことは手伝えないけど、生徒会のことは私も出来ることやるから、ね」
「…お前は、よく気がつくしよく働くし、頼りになる。ありがとよ」
「えへへー」

嬉しいやら照れくさいやらで、私は顔を逸らした。ああでも、今の言葉は胸に染みたなぁ。やっててよかったと、心の底からそう思えて。口元がついつい綻んでしまう。それをなんとかマフラーで隠し、私は話のまとめに入ろうとした。

「よし!跡部くんも迎えそろそろ来るんでしょう?私も帰んなきゃ」
「用事でもあるのか。なんなら、送ってくぜ?」
「いいのいいの、ここからかなり近いし。こっちの袋にマーガリンとか入ってるから帰って冷蔵庫に入れなきゃ」
「チョコ、作るのか…?」
「チョコっていうか、ブラウニー焼こうかなと。家族用バレンタインにね」

すると、跡部くんの背後に彼のお迎えの車が見え、私が「あ、お迎え来たみたいだよ」と言うと、一瞬何かを言いかけたようだった彼が、背後を振り向く。黒塗りのお迎えの車は、静かにするりと彼のすぐ後ろで止まった。

「じゃあ、また月曜日にね」

バイバーイと手を振って彼と車の横を通り抜けようとした瞬間。

!」

腕を掴まれ、私は前につんのめった。驚いて「な、何?どうしたの?」と振り向くと、跡部くんが眉間にしわを寄せて、こちらを睨んで来た。いや、睨んでいるというより、どこか必死な、真剣な表情というべきか。

「このチョコ」
「え?」
「この、俺へのチョコ、嬉しかった。お前から貰えるとは思ってなかったから…心底嬉しいと思った。だけど、もしこれが義理だというなら…俺は、俺が欲しかったものは、コレじゃねぇ」

ぽつりぽつりとそう語る跡部くんは、真っ直ぐと私を見ていた。私は、あまりに綺麗な彼の瞳に魅入られてしまい、言われた内容がなかなか理解できない。

「コレは、さっきのお前の激励の言葉と共に受け取る。けど。俺はコレ以上に、お前の作ったチョコが欲しい」
「あ、とべ、くん…」
「意味、分からねぇとは言わせねぇぜ」

最後に不敵にそう囁き、けれどとても優しげな表情をして、跡部くんは私の頭にそっと唇を落とし、私の腕から手を離した。その場に立ち尽くす私に、跡部くんはもう一度笑って、そのままお迎えの車に乗り込んだ。ドアが閉まると、今度がウィンドウが開く。

「月曜、期待してるぜ。じゃあな」

そう言って、跡部くんの乗り込んだ車は、滑るように去って行った。私はその車が見えなくなるまでそこに立ち尽くし、そしてゆっくりと先ほど彼が触れた部分に手を置く。ああ、顔が熱い。マフラーも耳あても、いらなくなってしまった。

「……マーガリン、ちょっとくらいなら溶けても大丈夫だよね…?」

大急ぎで、ラッピングする箱を買いに行かなきゃ。



王様のご所望は?
俺のためのチョコも嬉しい。だが、俺を想って作ったやつがいい。