学校から少し離れたところにあるちょっとお洒落なカフェ
午前で授業が終わる日は、そこで食後のデザートを。
天気のいい日は外のテラスでレポートに専念。
休日の買い物帰りにちょっと一休み。
落ち着いた、アンティークな雰囲気に美味しいケーキやコーヒー
思わずうっとりしちゃうのは、店の雰囲気だけではないけれど
タルトと紅茶と気になるあの人
「いらっしゃいませ」
その声と仕草に、私はいつもドキドキさせられる。
週に3回以上、私はふらりとこのカフェを訪れる。時々友人と一緒だったりするけれど、ほとんどは独りでやってくる。幸せな、私だけの時間。
私が店のドアを開けると同時に落ち着いた声で「いらっしゃいませ」と言ってくれる一人のウェイターさん。ふわっとした明るい茶色の髪、あまり背は高くないけど、細身でどこか可愛らしいのになぜか大人っぽい。制服のネームプレートにはローマ字で“NAGAKURA”と書かれている
この方が、今私が恋をしているお相手です
「ご注文はお決まりでしょうか」
伝票とペンを持って物腰柔らかに対応するナガクラさんはうっとりしてしまうほど素敵だ。座っている私を見下さないようにか、少しだけ前かがみになって注文を受ける彼に、私は緊張しながらもメニューを指差して注文を伝える。
「えっと、…ブルーベリータルトとアールグレイを」
2回に1回来ては頼む大好きなタルトと紅茶。ひとつ美味しいものを発見するとただひたすらそればかり注文する私を、ナガクラさんは知っている
にっこり笑って、そして少し意地悪っぽく小声で彼は囁いた。
「いつもの、デショ?」
これが嬉しくて、私はドキドキしながらこくりと頷いた。
不純な動機だって言われるかもしれない
それでも私にとっては真剣な恋心
5分もしないうちにナガクラさんが「お待たせ致しました」と、タルトと紅茶を運んできてくれた。音をたてずに静かにテーブルの上に置く仕草は、優雅で紳士的で、かっこいい。そしてまた少しだけ屈んで「ごゆっくりどうぞ」と言って、出来るだけ端に伝票を置いていった。些細な気遣いが嬉しくって、またそのタルトが美味しくって、思わず頬が緩んでしまう。
ああ、幸せ…
ゆっくり味わってそろそろ行かなきゃと会計を済ますときにもナガクラさんが接客してくれた。ドキドキしながら出来るだけジロジロ見ないようにその表情を、その仕草をこっそり眺める。俯き加減で視線を落とす表情はすごく大人の男の人で、あまり大きくはないけれど、レジを打つ手はしっかりとしていて骨張っている。
会計を済まし内心名残惜しくも店を後にするときは明るい声で「ありがとうございました」の一言。
そしてその後いつもナガクラさんは小声一言付け足す。
「また来てネ」
それを聞くとさらに嬉しくって、ああやっぱり素敵だなぁ、好きだなぁと思いながら私は店を後にした。
帰り道、電車の中でぼんやりとナガクラさんのことを考えていた。
私が知っているのはその名前、しかも苗字だけで、あとは何も知らない。下の名前も年齢も、何もかも知らないことばかり。唯一知っている苗字だって、“ナガクラ”と、カタカナのものであって、漢字は知らないのだ。長倉なのか、永倉なのか…長蔵とか?
もっと知りたいと思う自分は、わがままで欲張りにも思える。自分に呆れつつため息をついて目をとじると、ナガクラさんの人懐こい笑顔を思い出した。
これこそまさに、コイワズライ
翌日
悲しいことに今日は昼前から夕方までビッチリ講義が入っていた。お昼にお店に行こうと思ったけれど、友人に学食に行こうと誘われたので結局行けなかった。
最後の講義が終わり私はケータイを開いて時計を見る。
すでにお店の閉店時間は過ぎていた。
「…今日はもう終わっちゃった、かぁ…」
残念な気持ちで荷物を持って教室を出た。会いたかったなぁ、なんて呟いてみるけれど仕方のないこと。
外はすでに夕焼け色から藍色の空に変わりつつある。沈んだ気持ちで学校の敷地を後にした。
寄り道する気も起こらず、今日は帰ろうと思ったその時
「今日は講義忙しかったみたいだネ」
「えっ…」
聞きなれた声に驚いた私は歩く足を止めて後ろを振り向く。後ろには小柄な男の人が立っていた。
茶髪でパーカーにジーンズ姿のその人はくすくすと笑いながらこちらに歩み寄って来る。私は目を見開いて、思わず持っていた荷物を落としそうになってしまった。
だって、そこにいたのは紛れも無くあのカフェの店員さん
ナガクラさんだったから…
「な、ナガクラさん!?」
「あ、やっぱ俺の名前知っててくれたんだ、サン。ま、ネームプレートつけてたしネ」
「えっ、私の名前…」
自分がナガクラさんの名前を知っているのは彼の言うとおり、ネームプレートというものがあったからだ。けれど私は名乗ってもいないし、名前を示すようなものは付けていないし持ってもいなかった。何で、何でと混乱してるとナガクラさんは苦笑を浮かべる。
「俺、同じ学校なんだヨ。まぁ、1コ上で学部違うけど」
「うそ…知らなかった…」
予想外の事実に私はしばし呆然とする。するとナガクラさんは照れくさそうに頬を掻いた。
「一度だけ、君が落とした学生証を拾ってあげたことあったんだけど…覚えてナイ?」
「えっ!?」
「あはは、覚えてナイみたいだネ」
そんなこと全く記憶に無い私は急に恥ずかしくなった。同時に覚えていないことを大いに後悔する。
「まぁさんが入学したてでまだあの店に来てなかった頃の話だから、無理もナイか」
「ご、ごめんなさい…」
「イヤ、謝らないでヨ!さん何もしてないし」
笑いながらそうナガクラさんは言ってくれたけれど、私はとにかくショックだった。折角の憧れの人との出会いを覚えていない自分に腹が立って仕方がない。
「でも、君があの店に来てくれたときは驚いたヨ。まぁ俺のこと覚えてなかったみたいだけど、それでもいつも美味しそうにタルト食べてくれてさ」
そう喜んでくれるナガクラさんだけど、店に通いつめた動機が本当は貴方なんです、と言ったらどう思われるんだろう。いっそ言ってしまおうか、と躊躇っているとナガクラさんが明後日の方向を見ながらぽつりと言った。
「毎日あそこでバイトしてるけど、今日はさん来るかな〜っていつも思ってたんだ」
「…」
その言葉に私は心臓の鼓動が早くなっていくのに気づいた。いや、本当は彼に会った時点で速くなっていたので、もっと速くなったというのが正しいのかもしれない。
どうしよう…貴方に恋をしてる私は、どうしてもナガクラさんの言葉を都合よく解釈してしまいそうになる。そっと視線を動かしてナガクラさんの方を見ると、その顔はすこし紅かった。
期待を、してもいいのかな
「あの、…」
混乱した頭で次に何を言おうかと考えていると、不意にナガクラさんがこっちを向いた。しっかりと視線が絡むと、彼は照れ臭そうに微笑む。
「初めて会ったときからさんに一目惚れして、それから何度も会ってもっと好きになっちゃった」
「!」
自分を耳を疑う。けれど、今ここで聞き間違うほど私もおかしくない。
「好きです。俺と付き合ってくれませんか?」
その表情はいつもお店で見るウェイターのときの彼とはすこし違っていて。すごく素敵で、思わず見入ってしまう。
どうしよう
幸せすぎて、夢なんじゃないかと思う
「わ、私も、…ずっとナガクラさんのことが好きです!」
思い切ってそう告げると、彼は一瞬目をぱちくりさせて、そしてすぐに嬉しそうに笑った。
「ヨカッタ〜これでもし断られたら俺バイトやめようとか思ってたんだヨ〜」
と頭を掻きながらほっとしたように言う彼に私も笑った。ナガクラさんは一瞬躊躇いつつも一歩前に出て真剣な顔を見せる。
「とりあえず、今日は家まで遅らせて。それと、明日店に来てヨ」
私は真剣なナガクラさんがなんだか可笑しくって、思わず笑ってしまった。そしてふと、あることを思い出す。
「明日はOKなんですけど、その前に…」
「え。な、何…」
すこし真剣な様子で私がそういうと、ナガクラさんは一瞬焦ったような表情を見せた。私はそんな彼が可愛く思えて、笑いそうになりながらも答えた。
「ナガクラさんの、下の名前教えてください」
「あ…あぁ!そっか…」
ほっとしたようにそう言うと、彼は屈んで顔を寄せる
そしてにっこり微笑んで教えてくれた
「俺の名前は新八だヨ」
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