まるで、シャープペンを筆と見間違うほど、ピンと正された姿勢。
学級日誌なんて、クラスの誰もが走り書きよりひどい文字でテキトーに書いてしまうのに、彼だけは新年の抱負を書いているような、目上の人に手紙を書いているような、そんな様子で今日のことを記入する。

夕方の、静かな教室で、二人。
ああもう、頭と心臓が、おかしくなりそうです。






、今日の日直はお前か」

始業ぎりぎりに登校して机に荷物を置いた瞬間、目の前に阿修羅ぞう…いやいや、真田くんが腕を組んで立っていた。机を挟んで目の前に立つ彼は、やはり背が高くて、何よりそのオーラに圧倒されて、半分以上眠ったままだった私の意識は一気に覚醒した。

「え、あ、うん…そうかも」

私の中途半端な返答に、真田くんの眉が僅かにぴくりと動いた。その反応に多少(かなり)ビビりながらも、横目でちらりと黒板の日直欄を見る。そこには私の名前と、いつも一緒に日直をしている男子の名前が並んでいた。

「…うん、私と…あと山本が今日の日直みたい」
「あぁ。だが、山本は今日欠席らしい。そこで俺が代わりを務めることになった」

うむ、と頷く真田くんと、へ…?と首を傾げる私。
山本の代わりに、真田くんが日直やるの…?私と一緒に…??

「今朝、担任に頼まれてな。お前一人では仕事が多すぎるだろう。それに、欠席の場合は代行というのも致し方がない」
「う、ん…そうだね…」

おそらく担任は、真田くんならめんどくさがらずに引き受けてくれるのを見越して、彼に頼んだに違いない。そして、真面目な彼は嫌な顔一つせず、それを引き受けた。そして、律儀というかご丁寧というか、わざわざ相方の私に、それを伝えにきてくれた、ということだろうか。頭では少しずつ状況が理解できてきたものの、どんな顔をすればいいのか、なんて言葉を返せばいいのかが分からない。

「えっと、じゃあ…今日1日よろしく…お願いします」
「あぁ。ではまたな」

真田くんは再びうむ、と頷いて、自分の席へと戻って行った。私は茫然とその姿を眺め、始業の鐘が鳴ってやっと席につく。

(私と、真田くんが、日直。私、真田くんと、日直。私、真田くんと一緒に、日直…)

呪文のように数回頭の中を反芻し、突然火がついたかのように、全身が熱くなった。まさか、真田くんと一緒に日直だなんて。”クラスメイト”以外何の接点もなかったのに願ってもない幸運、もう、嬉しくてたまらない。顔がにやけそうになるのを、上手く抑えられない気がした。

その後、真田くんが「」と私の名前を呼ぶ度に、自分の心臓がおかしくなるんじゃないかと心配になった。

真面目でしっかり者の彼は、私はうっかり者であるのを十分に理解しているらしく、休み時間の度にやるべきことを指示してくれる。時には、「教室の空気を少し換気した方が良さそうだな。お前は向こうの窓を少し開けてくれ」と、日直の仕事とはなんら関係ないものもあったけれど、他の人に言われたら面倒なことこの上ないような指示も、真田くんからだったら素直に聞いてしまう。

「黒板は俺が消す」
「え…」

腕を組んでそう言う彼に、舞い上がり気味の私は若干冷静になりながら、それはちょっと負担かけすぎなんじゃないかな、と思う。日直の仕事の5割以上を占める仕事を真田くんだけにやらせてしまうのは、いくら能天気でめんどくさがり屋の私でも彼に申し訳ない。

「でも、黒板消しが一番大変だし…私も手伝うよ?」
「いや」

厳格な態度で、首を横に振る。そして意志の強い真っすぐな視線を向けられ、一瞬心臓が大きく高鳴った。

「俺の方が遥かに背丈がある。それに、粉が降ってきて髪についたり、目に入ってしまうこともある。こういうことは男の俺がやるべきだろう」
「…!」

キッパリと、どこかの大名とか将軍みたいに威厳ある声で言われ、私は自分の顔が火照っていくのが分かった。慌てて俯いて「じゃ、じゃあお願いします…」とだけ答え、急いで自分の席に戻って、机に頭をぶつけそうなくらい勢い良く伏せる。

何、今の。すごく女の子扱いされた気がするのは、気のせい…!?今、真田くん、めっちゃくちゃカッコよかった…。ダメだ、たったの半日で今までよりずっと好きになった。

「あー…かっこいい」

声になるかならないかの大きさで、ため息のようにつぶやく。
彼自身からすればきっと、いや絶対ちょっとだけ気を遣っただけなのだろう。私ではない他の女の子に対しても、全く同じことを言うに違いない。そうは分かっていても、真っ向から自分に向って言われてしまうと、嬉しくて仕方がない。だって、これまでずっと密かにカッコイイな…と見ているだけだった。それなのに、今日1日でいろいろあり過ぎる。想いは募るばかりだ。

それから、何度も何度も苦しいくらいときめいて、気づけばあっという間に放課後になってしまった。
日直の最後の仕事は、今日1日の出来事をすべて日誌に記入することと、戸締り。テニス部の副部長である真田くんに放課後までこんなことをさせていいのかと不安になり、思い切って「後は私がやるし、真田くん部活に行っていいよ」と言ってみた。
が、流石というかやはりあの、真田弦一郎くんなわけで。

「どんなことでも最後まで責任を持ち、役目を全うするべきだろう。日直で練習に少々遅れると、幸村にも了承を得ている」

と、これまた威厳たっぷりに断言されてしまえば、私はそれ以上何も言えなかった。大人しく、けれど爆発しそうな心臓を必死に抑えて、真田くんと机ひとつ挟んで向き合う。部活動が盛んな立海は、放課後教室にあまり人が残らない。一人、また一人とクラスメイトが去って行き、気づけば真田くんと私の二人きりになっていた。

「本日の欠席者は、山本だな」
「う、うん…」

丁寧な字で、真田くんが山本の名前を欄に書き込む。

「今日の時間割に関しては…これで十分だろう。何か付けたようなことはあるか」
「えっと、特にない…かな」

力なく笑みを返すと、不意に真田くんがむっ、と眉間にしわを寄せた。えっ!何か変な個所あったかな!?と慌てて日誌に視線を落とす。けれど、見たところこれといって何もないような気がする。何だろう、と不思議に思って首を傾げていると、真田くんが静かに「…、」と呼んだ。

「この漢字、間違っているぞ。正しくはこうだ」
「え!す、スミマセン…」

呆れたような、ちょっとお説教のような声色で言われて、恥ずかしさのあまりに全身が縮こまる。真田くんの大きな手が小さな消しゴムを持って、私の間違った漢字をさっと消し、丁寧に書き直してくれた。

「ありがとう、真田くん…ごめんね…」
「漢字は日本人のたしなみだぞ。気をつけなくてはな」
「ハイ…」

まるでお父さん(いや我が家的にはおじいちゃんかも)に叱られているような気分だ。それでも、思いの外穏やかな言い方だったので、こわいというよりは申し訳なくて情けなかった。みっともないなぁと項垂れつつ、漢字の勉強やろう…と胸の内でこっそり決意する。それからしばらく沈黙が続いて、私は真田くんが必要な個所に書き足していく様を静かに眺めていた。そして、ぽつりと言葉をつぶやく。


「真田くんは…字も上手だし、漢字もちゃんと分かってるし…羨ましいなぁ」
「…お前は漢字はあまり得意ではないようだが…その、絵を描くのに長けているな」
「絵…?」
「芸術の授業で、よく褒められていただろう」

思いがけない言葉に、驚いて顔をあげ、ぽかんと真田くんを見つめてしまった。真田くんは視線を合わせてはくれない。けれど、一生懸命言葉を探して、さらに続けてくれる。

「俺は書をたしなむが、絵画のような芸術は、描くこと自体不得手であるし、センスもない。だがお前の描く絵をみていると…上手くは言えんのだが…好ましく思うことがある」
「私の、絵…?」
「あ、あぁ。その、美術的な感性からくるものではなく、単純にだな…お前らしく、自由で良いと感じる…俺には無い、素晴らしい技術だ」

大きな体格の真田くんが、顔を俯けたまま固まっている。眉間に寄ったしわがすごくて、口元も固く強張っていて、表情としてはかなり固い…というか、こわい。けれど、切り揃えられた黒髪から覗く耳が少し赤くなってることに気づいてしまい、今までにないほど全身が燃えるように熱くなった。舞い上がった私は、すぐさま腰を浮かせ、勢いよく真田くんに詰め寄る。胸に秘めた想いが洪水のように押し寄せてくる気がした。

「わ、私も、真田くんの字が好きだし、丁寧に書く姿も好きだし、責任感が強くて日直を引き受けてくれちゃうところも、真面目にやるべきことをこなしていく姿も、厳しそうで実はすごく親切なところも、好き…!」
「…っ!」

興奮して思わず詰め寄ってしまった私に、真田くんは驚いて目を見開き、そして一瞬のうちに強張った顔も首も、真っ赤になった。一方私はというと、恥ずかしい気持ちを上回るくらいたまらなくこの人が好きだという想いが募り、何だか笑ってしまいそうだった。とりあえず硬直してしまった真田くんが少し可哀そうなので、ゆるゆると姿勢を戻す。

「ははは…あの、ごめんね…」
「……いや…」
「……」
「……」

それからどれくらい二人で黙っていただろうか。
日誌はとっくに書き終わっていて、ただ席を立ちあがるタイミングが掴めないのか、それともこの場所を離れるのが惜しいのか、なかなか動くことは出来なかった。
結局、真田くんのケータイに柳くんから「日直の仕事は終わったか?」とメールが来るまで、ずっとそのままだった。

教室の戸締りを確認して、日誌を提出して、気まずい雰囲気のまま昇降口に向かう。
別れ際、何とか勇気を振り絞って「練習頑張ってね」と声をかけると、真田くんは「あぁ」と低く、静かに、返事をくれた。

、」

逃げるようにその場を去ろうとした時、真田くんに呼びとめられて私は再び彼の方を向いた。帽子をかぶり、片手でつばを下げているせいでほとんど顔が見えない。けれど、声だけは確かにはっきりと私の耳に届いた。

「その…お前の気持ち、嬉しかった」
「!!」
「…また明日」

言い終わると同時にくるりと背を向けて、真田くんは足早にテニスコートの方へと向かっていった。私はしばらくその後ろ姿を眺め、今この瞬間の幸せを一人噛み締めた。

いつか、練習を観に行ってみてもいいかな。
今度真田くんと一緒に何か出来る機会があれば、その時はお願いしてみよう。



ただ、真摯な君を見つめていたい。
“意外な一面”であり、同時に“お前らしい”ところでもあるから心惹かれるものがあるのだろう。