昇降口で鞄を持ったまま立ちすくみ、僕は空を仰ぎながら肩を落とした。
「ついてないな」
ぽつりぽつりと降り注ぐ雨。
確か今朝の天気予報では曇りだと言っていたのだが…まさか降られるとは思わなかった。
思わずため息をひとつ、零す。
「あれ…石田くん?」
不意に声をかけられて、僕は後ろを振り返った。
雨はまだ、止みそうにない。
「、さん…」
声をかけてきた人物はクラスメイトのさんだった。
きょとんとした表情の彼女は小首をかしげて「どうしたの?」と尋ねてくる。
「石田くんがこの時間まで学校にいるなんて…あ、部活?」
「いや…今日は、委員会があったんだ」
あまり話したことが無かったので少しぎこちない返答になってしまったが、それでも彼女はいつも仲のいい井上さんや朽木さんに対するときと同じように接してくれた。
「そっか、お疲れ様。で…もしかして、傘がナイ、とか?」
「…あぁ」
さんが僕の手元を一度見て、そして視線をあげて苦笑気味に言う。
僕はため息を交えながら頷いた。ちらりと彼女の手元を見れば、傘が1本握られている。準備がいいな、と素直と感心した。
「今日曇りって言ってたしねぇ。私置き傘してたから」
「…僕も今度から1本は置き傘にしておくことにするよ」
はぁ、とさらにため息をつくとくすくすとさんが笑っていた。何が可笑しいのかよく分からなかったが、その表情が柔らかかったので悪い気はしなかった。
「良かったら、傘入ってく?」
「え…」
「確か帰る方面同じだよね?ていうか私の通学路の途中に石田くん家あるよね。朝とかたまに見かけるし」
そうだったのか、と少々驚きながら僕は返事に困った。断るのも悪い気がするが、かといってハイお願いします、と言うのもどうなのか。
思わず眉間に力が入ってしまう。それに気づいたさんは困ったように笑いながら「迷惑じゃなかったら、だけど」と付け加えた。
迷惑だとは全く思わなかった。
ただ、さんはいいのだろうか…と思ってしまうのだが…
「…じゃあ、すまないけど…」
結局、彼女のささやかな心遣いを断るのも申し訳なく思った僕は、彼女の傘に入れてもらうことになった。
さんの傘に入れてもらい、二人で並んで雨の中を歩く。
彼女は僕よりも頭一つ分ほど背が小さいので、傘は僕は持つことになった。
さんは「女物の傘でごめんね、ありがとう」と言ってくれたが、幸いなことに彼女の傘は白地に緑の細いストライプという至ってシンプルなデザインだったので特に抵抗は無かった。
それから、少し緊張しながらも他愛ない会話をしながら僕らは歩いた。
「石田くんは確か手芸部なんだよね?しかも1年なのに部長さんなんでしょう?」
「まぁ、部員が少ないからね。さんは…テニス部?」
僕は彼女が肩にラケットを下げているのをちらりと見た。
それに気づいた彼女は顔を綻ばせる。
「そう。軟式、ソフトテニス」
「今日も練習だったのかい?」
「うん、でも途中で雨降ってきちゃったから筋トレやって今日は終わりだったの」
さんは明るくて気さくなタイプだった。常に輪の中心にいるような人で、その人柄の良さが多くの友人を惹きつけるのだろう。
「お裁縫得意なんでしょう?いいなあ!私あまりやらないせいか苦手なんだよね。あ、石田君、料理とかはするの?」
「それなりに、かな」
「得意な料理とかある?」
「うーん…サバの味噌煮…?」
「うわぁすごい、お料理も出来るのね…!私も料理好きだけど、味噌煮はムリかも…」
話し上手でいて、聞き上手な彼女とは自然に会話が弾んだ。どこかぎこちなかった僕もだんだんと自然と言葉が出るようになっていた。
「そういえば、石田くんが傘無いなんて意外だね。折りたたみとか持ってそうなのに」
「今日に限って持っていなかったんだ…」
「あらら…」
話していて気が付いたが、さんは非常に表情豊かだ。ニコニコ笑ったり、苦笑をしたり、不思議そうだっり、少し驚いていたり。ひとつ一つの表情が柔らかくて、印象的だった。
一つの話題が終わって、ほんの僅かな沈黙が生まれたとき、ふと彼女が思いついたように「あ、」と小さく声をあげた。
「…さん?」
「石田くんて、色白いねぇ…う、羨ましい…」
傘を持つ僕の手を見ながら彼女は眉尻を下げて本当に羨ましそうにそう呟いた。
男としては色白と言われても正直素直に喜べはしないが、彼女も悪気があるわけではないので僕は苦笑するしかなかった。
「そ、そうかな」
「うん…でもやっぱり男の子だね。手は大きいし骨もしっかりしてるなぁ」
じっと真っ直ぐに見つめられて、何だか少しだけ気恥ずかしくなって居心地が悪く感じられた。僕は視線を泳がせながらも空いている方の手で軽く眼鏡を押し上げる。
鼓動が、少しだけ速くなった。
しかしさんはそんな僕には気づかずに今度は自分の両手を見つめる。顔の前で両手首を揃え、掌を何度か開閉して自分の腕を見た。
「テニスやってると日焼け止めやってても焼けちゃうんだよねぇ…あと、ソフトって片手だから利き手首だけ太くなっちゃう」
僕はちらりと彼女の揃えられた手を見た。白くて小さいそれは、別に日焼けしているようには思えない。そして手首も、違いは分からなかった。どちらも、細い。女性の手や腕だ。
そう思った途端、心臓が大きく跳ねて、僕は慌てて視線を逸らした。
何を考えているんだ、僕は。
「あ、そこだよね。石田くんのお家」
「あ、あぁ…」
彼女の声に顔をあげると、すぐ近くに自宅が見えた。
ほっと安堵したが、あっという間だったな…と、心のどこかで何故か残念に思った。
家の前で立ち止まって、彼女に傘を返す。
そのとき、僅かに互いの手が触れて、再び心臓が跳ねる。
「えぇと、…助かったよ、本当に…ありがとう」
「どういたしまして!それじゃあ、また明日ね」
「あ、あぁ…また明日」
そうぎこちなく返すと、彼女はにこりと微笑んで手を振りながら帰っていった。
僕は彼女の傘が見えなくなるまで、玄関の前で呆然としていた。
「…雨、まだ止みそうにないな」
降り続く雨を眺めながら、不意に己の手に視線を落とし、何気なく軽く拳を握ってみた。
雨の中歩いていた間は冷えていた身体が、いつの間にか熱を持っていたことに気が付いた。
レインレイン
明日は、雨が降っていてもいなくても、君と話が出来たらいいと、そう思った。
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