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街はバレンタイン・イヴ?とでもいうのだろうか、とりあえず明日が14日なので、クリスマスっぽい言い方をするとイヴだと思う。仕事が終わって、いつもより少しだけ時間をかけて身支度を整えた。帰るだけじゃん、と思われるかもしれないが、違うのだ、今日は人と待ち合わせをしているのです。ポーチから小さいブラシをとりだして、簡単に梳かす。これから何か食べたりするならなぁ、とシュシュで一纏めにする。いつもより位置が高いのは、アレだ、ちょっとだけ楽しみだから。
と、言っても相手は友人の、しかも女性なんですけどネ!
昨夜突然電話してきた彼女は第一声で「明日の夜空いてるよね」ととても楽しそうな声で問いかけてきた。思わず、ちょっと待てなんで空いてること前提なの!と叫んでしまったが、そんなこと出会ったころから無意味だったので素晴らしく流されてしまった。
曰く、『会社の近くにあるチョコレートショップに最近イケメン外国人のショコラティエがいて、しかもバレンタインまで特別メニューがいろいろあってとにかく行きたい、でも女2人で14日に行くのはなんかヤダから13日の夜行くよ』とのこと。おいおいちょっと待て、まず14日に行こうと13日に夜に行こうと大差ないんじゃないの。それに、イケメンショコラティエって。つい数週間前「居酒屋に可愛いバイトの子がいるから今度行こう」とい言ってませんでしたっけ。というか、そもそも貴女、
「彼氏いるじゃないの」
はぁぁぁ、と化粧室の鏡の前でため息をついてみるものの、結局私はあいつに振り回される運命なんだろうなぁと諦める。どうせ相手がいない私だ。それに、甘いものは大好きなのでちょっと嬉しいし、特別メニューとかにも弱いのだ。前髪を少しだけひっぱって整えて、私はコートを着てストールを巻いて、待ち合わせの場所へと向かった。
そして、裏切られるのであった。
待ち合わせの時間より5分程早く着いたはぼんやりと日が暮れて暗くなった空を眺めていた。寒いなぁと独り言をつぶやいたところでケータイが鳴り、通話ボタンを押した瞬間に大音量で謝罪される。
『〜!ホント、ホンットごめん!帰り際に課長に捕まっちゃって、接待に連れ出されちゃったのよぉ…』
珍しく泣きそうな声に驚いた私は、思わずドタキャンの事実も忘れ笑ってしまった。どうやらご贔屓にしてもらってる取引先の接待に選抜されてしまったらしい。まぁ確かに、見た目も中身も愛嬌もある彼女なら、そりゃ課長も連れていきたくなるだろう。
「あーもー分かったから、今更ドタキャンくらいで驚かないよ。それより、こんな電話しててもいいの?接待中なんでしょ?」
上司と取引先の人と一緒で、よく電話なんか出来たなぁと感心していると、『課長がうっかりスーツに煮物こぼしちゃって、おしぼり貰いにいくふりして電話してる』と言う。これは早々に電話を切らねば…。
「早くおしぼり貰って戻りなさい!じゃあね、また今度ね」
そう言って、最後の謝罪をテキトーに聞き流して私は通話を切った。パタンとケータイを閉じて、ふうとため息をひとつ。寒空の下、バレンタイン前日に待ちぼうけって。
「なっさけないなぁ…」
ドラマでもあーあ、って場面なのに、実際わが身ともなるともはや苛立ちも何も、虚しさだけが残った。ひとまず寒いので歩き出して、このまま帰ろうか、少し寄り道して何か食べて行こうか、ぼんやりと考える。実は甘いものを食べる予定だったので、お昼のランチも質素なお弁当にして3時のおやつも抜いていて、お腹は今にも鳴り出しそうだった。それに、チョコレートショップ、やっぱり行ってみたかったと思う。チョコ…ケーキ…パフェ…特別メニュー……・・・
「独りでも、行っちゃおうかな」
この際、女一人とかもう気にしない。ヤケだヤケ、と思いつつもルンルン気分で足早に噂のチョコレートショップへ向かった。
オシャレな外観と、華やかだけど落ち着いた雰囲気の内装に、ドキドキしながらウエイターさんに案内された席につく。時間が時間なので、バレンタイン前日だけどカフェスペースはもうあまりお客さんがいなかった。一人だしカウンターにすべきか悩んだのだが、ウエイターさんが「宜しければ一番奥のテーブルへ」と案内してくれた。
「わぁ…」
椅子に座ってみて、その意味に気づく。数人の他のお客さんが全く気にならず、心地よい音楽と小さな窓から観える街中の街頭。オススメの場所に、案内してくれたのだ。メニューを開き、一通り眺めてやっぱり特別メニューよね、と決めて再び戻ってきたウエイターさんにそれをひとつ頼む。ドリンクは、コーヒーは苦手なのでストレートの紅茶にしてもらった。
静かな空間で、ほんのりとチョコとコーヒーの香りが私を楽しませる。ぼんやりと窓の外を見つめ、雪が降ったら最高の眺めだろうなぁとか、今頃接待頑張ってるかなぁとか、時間を忘れて今この瞬間を心から堪能していた。ああ早く食べたいなぁ。
「Bonsoir」
不意に男性の声で話しかけられ、ハッとした私は顔をあげた。するとそこには、先ほどのウエイターさんではない、上から下まで白のシェフっぽい格好の男性が一人。あ、え、どうしよう何て返せばいいんだろうとあたふたしていると、ニッコリほほ笑まれて「こんばんは、お譲さん」と今度は流暢な日本語で話しかけられ、ほっとした私は急いで「こんばんは…」と返す。金髪で、ブルーの瞳で、すごくカッコイイ人だ。映画に出てくる俳優さんみたい。
「さっきのウエイターじゃなくて、驚かせちゃったかな?ごめんね」
「あ、いえ、大丈夫です…」
くすくす、と笑う仕草まで優雅で、頬が熱くなる。たぶん、この人だろう『外国人のイケメンショコラティエ』って。
「さっき可愛い子が見えたからさ、ワガママ言って表に出て来ちゃった」
ハイ、どーぞ、とテーブルに置かれたのは、本当に宝石のように輝いているケーキとチョコとマカロンと、上品なカップの紅茶。どうしよう、こういうとき知識とか語彙の少なさって悲しい。見た目の美しさとか、この感動とかをなんて言えばいいのか分からなくて、思わずそのまま呟いてしまった。
「どうしよう…」
「ん?」
きょとんとした顔で、お兄さんが首をかしげる。さらりと金髪が揺れて、やっぱりセクシーだ。
「だって、私いま、すごい、って言葉しか思い浮かばないんです…もっときっと、相応しいちゃんとした言葉があるはずなのに」
見た目が綺麗とか可愛いとか美味しそうとか、そういうありきたりでごく平凡な言葉しか知らないから、それはすごく悔しい。私はフォークにも、紅茶にも、何にも手を出せず、膝の上でぎゅっと手を握る。ああ、悔しい。食べるのが勿体ない。でも欲しくて欲しくてたまらない。
「えーっと、お譲さん、リポーターとか何か?」
「いえ、ただの一般会社員です」
そう答えると、お兄さんは少し噴き出して先ほどよりも本格的に笑いだす。ていうか、これ、この人が作ったのかな?
「あの、」
「ん?」
「これは、貴方が作ったんですか…?」
恐る恐る尋ねると、くすくす笑っていたお兄さんは、目を細めてふわりと微笑んで、「うん。俺の傑作」と答えてくれた。その表情も、声も、とろけそうなほど甘くて、ケーキにふさわしいというか、ケーキがふさわしいというか、とにかく妙に納得してしまった。
「眺めるのもいいんだけどさ、折角愛をこめて作ったショコラフランボワーズ、食べて欲しいなぁ〜」
「あ…頂きます」
言われるままにフォークを手にして、そっと一口、口に運ぶ。とたんに、甘くて甘酸っぱいそれに胸がキュンとなる。ああもう、本当に幸せだ。ため息が出てしまう。
「すっごく、美味しいです…!」
「よかった。俺の愛、ゆっくりご堪能ください」
片手を胸の前に置き、優雅にお辞儀をしてそのお兄さんはふふっと笑い「またね」とウィンクを一つ残してまた厨房の奥へと戻って行ってしまった。きっとあんな風に素敵な人だから、こんなすごいケーキが作れるんだ。一口、また一口とフォークを運んでは、一人で感嘆の声を零す。
ケーキだけでなく、チョコも上品な口どけで、可愛らしい色のマカロンもとっても美味しい。紅茶もケーキとかと相性が良く、カップの底にはバラのような花びらが一枚あって、嬉しくてドキドキしてしまう。
これでもかと言うほどゆっくりと味わって、食べ終わった後も夢心地で窓の外を眺めていたけれど、ふと時計を見るといつの間にかお店もそろそろ終わりなんじゃないかという時間になってしまっていた。名残惜しいけれど、立ちあがり、バッグろコートを持ってお会計へと向かう。
レジには先ほどのウエイターさんが居て、お会計をしてもらった。とても幸せな気分だったので、お財布をしまって再びウエイターさんと向き合う。
「とっても美味しかったです」
「Merci beaucoup」
ニッコリほほ笑んだウエイターさんに見送られ、お店の外に出る。ぽわぽわと温かい頬に冷たい風が当たって、ふとストールを忘れたことに気づいて慌てて振り返ると、お店から先ほどのショコラティエのお兄さんが出てきた。
「お嬢さん、これ、忘れもの」
やっぱり素敵な笑顔のお兄さんが持っていたものは、私のストールで慌てて「すみません」と駆け寄った。さっきは気付かなかったけど、背も高くてスタイルも良くて、本当にモデルとか俳優さんみたいだ。でもきっと、今のお仕事が一番似合っていると、何故か勝手に確信を持った。
「とっても美味しくて、本当に幸せな気分になりました!御馳走様でした」
「こちらこそ、最高の褒め言葉をありがとう」
ふふと笑う姿は優しげで、でも色気たっぷりで、さっきとは違う理由でドキドキしてしまう。恥ずかしくなって少し俯いた状態でストールを受取ろうと手を伸ばすと、何やら小さな紙袋を持たされる。なんだろう、と不思議に持って顔をあげると、ふっと瞳を細めてお兄さんがふわりとストールを巻いてくれた。そして、ほんの一瞬。
「!」
「こちらこそ、ごちそうさま」
ちゅ、っと小さな音をたててキスをされた。突如顔が一気に熱くなり、混乱した私は一歩後ろに飛んで、ものすごい勢いで頭を下げてかけ出してしまった。うわ、うわぁぁぁぁぁあああぁぁあ…!
残されたお兄さんが「たまんないなぁ」と苦笑交じりにそう呟いたのなんて、知るよしもない。
帰宅後、舞い上がってすっかり忘れていたあの紙袋の中身を見ると、そこには一輪のバラと白い箱。
箱の中身は、美味しそうなチョコレートが入っていた。
バラには細いリボンと一緒にカードが付いていて、走り書きでメッセージが書いてある。
____
また明日
今度はお名前を教えておくれ
俺の愛しい人
Francis Bonnefoy
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私はその場にへたり込んで、目を閉じて頭を抱える。
ショコラティエに、チョコを贈るのは、アリなんだろうか…?
魅惑のchocolatier
お兄さんのショコラは、お嬢さん限定の惚れ薬入りさ。
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