いつもより遅く起きて、とりあえず適当に身支度を整えて簡単な食事を済ませる。エスプレッソを炒れて、ぼんやりとそれを味わう。外はいい天気で、日差しは暖かそうだが気温は低い。聞き流すだけのTVで、天気予報士がそう言ったのだ。やけに静かに思えるのは、朝からフェリシアーノが居ないから。女だろうか、たぶん、そうだろうなと思った。

天気予報も終わったので何かもっと面白い番組はやってねーのかとチャンネルを変えるが、どこもかしこもバレンタイン特集ばっかりだった。

「つまんねーの」

俺はリモコンを放り投げ、ソファに寝転がった。まだ少し眠い。少し目を閉じて、眩しいから枕がわりにしている腕とは反対の手で覆う。ひどくぼんやりとした意識の中で、思い出すのは一人の女だ。昔より長くなった髪を思い出して、今すぐ触りたくなった。

「今日来なかったら承知しねーぞコノヤロー」

これは賭けだ。俺一人だけが知る、俺とアイツの賭け。
少し年の離れた少女を、愛しいと思い始めたのはいつの頃か。いや、違う。”そういう”対象としてみるようになったのは…実はもうだいぶ前からだったりする。ひょんなことで出会った少女、先に親しくなったのは弟の方だ。俺はこんな性格だし、弟はあんな性格だから、まぁ想像に難くないだろう。それでも気づいたら俺たちは兄弟妹のようになっていて、当たり前のように一緒だった。傍からみれば中のいい兄弟妹、もう家族みたいなもんだった。

だけど、ある日俺は自分の気持ちを自覚した。忘れもしない、アイツが嬉しそうに初めて彼氏が出来たと報告してきた日。
言葉が出なかった。何て言ってやればいいのかわからなくて、目の前で浮かれている少女が急に大人びてみえて、俺は混乱した。腹の奥底に突然感じた重苦しさは、兄として、家族としての心配なのか。そう思おうとしたが、フェリシアーノの言葉によってそれとは違うことに気付いてしまう。

『何だかちょっと寂しいけど応援してあげたいね〜うまくいくといいなぁ』

そう言った弟を、まるで理解できないと思った。応援?誰がしてやるか、むしろ殴りこみに行きたいくらいだ。あいつの隣に立っていいのは俺たちだけだ、アイツは俺の傍にいればいいんだ、と。その瞬間、分かってしまった。いつの間にか家族愛から変わってしまった恋心と、どうしようもない程の嫉妬を。

「……チッ」

昔の楽しかった思い出よりも、自覚してからの記憶の方が鮮明で濃く根付いている。それらが俺の頭の中をぐるぐると廻っているのは、今日で最後だからだ。いつまでも兄貴分でいられるわけがない。もう、限界だった。好きな女が他の男のことで苦しんで泣いてるなんて。

「冗談じゃねぇ」

はき捨てるように呟いて、天井を睨みつけると不意にケータイが鳴った。きたか、と身体を起こしてメールを開く。どうやら現段階では俺に分があるようだ。けど、最後は俺自身で決めないと意味がない。俺は立ちあがって、アイツを迎える準備を始めた。

10分程度でインターホンが鳴る。俺は直接玄関に向かってドアを開けてやった。
さぁ、ここからが勝負だ。



「……」
「おら、突っ立ってないで入れ」

案の定泣いているらしく俯いたままで顔が見えない。何度泣き顔を見てきただろう、昔から心配かけさせられてばかりだった。なかなか動かないので、仕方なくいつものように片手でその小さい頭を撫でてやる。今日だけは、甘やかすつもりはなかったんだが、まぁいい。これくらいはまけてやる。


「…ロヴィぃ…」
「…玄関先で泣くんじゃねぇよ、入れ」

軽く手をひいてやって、ドアを閉める。小さくて冷たい手に触れただけで、やっぱりどうしようもなく好きだと思った。

「ほれ、座れ」

ソファに座らせて、ティッシュで適当に顔を拭ってやる。涙なんだか鼻水なんだかもう分からなかったが、相変わらずの幼稚な泣き顔でどこか安心した。座っているの前にしゃがみこむ。

「終わらせてきたのか?」
「…う、ん…」
「…そうか」

こくりと頷いた小さな頭から、ポタポタと雫が落ちてくる。

「終わったんなら、もう泣くな」
「…わかって、る」
「…どうしようもねークソ野郎のために、もう泣いてやる必要なんかねーだろ」
「ロヴィ、やっぱ、口悪い、ね…」
「うるせー散々お前のこと振り回して、何度も嫌な思いさせられて、お前の優しさ踏みにじった男なんざ、クソ野郎で上等だ」
「ふ…おっしゃる、通りです…」

少しだけ顔をあげて、僅かにが笑った。まだ涙が出ていて声が震えているけれど、確かな微笑みに、安堵する。これは俺の勝手な賭けだけど、それでもこういう結果を選んだのはコイツ自身だ。俺の賭けなんて関係ない、自らの意思で別れることを選んで、今日その通りにしてきたんだろう。

「ロヴィ、ありがと…ごめんね、泣いてるけど…実はそこまで悲しくもないんだ…よ?ただ、なんとなく感傷的に、なってるというか…いろいろ思い出しちゃっただけ…あと、自分バカだったなぁって」
「バカめ。おら、ちゃんと全部引っ込むまで、押さえてろ」

乱雑に取り出したティッシュの束を顔を押し付けて、俺はキッチンへ向かった。手早くホットココアを作ってやり、戻って手渡すとほとんど泣きやんでいた。目は真っ赤だが、笑う余裕は出てきたらしく、きちんと吹っ切れたらしかった。

「やった、ロヴィのココア大好き」
「飲んだらそのしょーもない顔しっかり洗って、そんでキッチン来い」
「分かった」

カップに口をつけたの頭を、もう一度ポンと撫でてやり、俺は次の段階へと移るべくキッチンへ向かった。


「顔洗ってきたか?」
「うん」
「じゃ、そこ座れ」

用意した椅子にが大人しく座る。同時に俺はタオルを広げてその肩にかけ、商売用ではないケープをその上から掛ける。ちらりと上目で見上げてきたので、「なんだよ」と言うと「もしかしなくても、切る?」と尋ねてきた。

「言っておくけど、失恋とかじゃないよ?」
「知ってる」
「あと、こういう時に髪切るって、今時どうなのかな」
「うるせー黙ってろ」
「…まぁ、いいか。お願いしまーす」

大人しくなったのを合図に、俺はハサミで彼女の髪を切った。



「ロヴィ〜?」
「あんま動くな」
「…どんな風にするの?」
「俺の好み」
「…(どんな…?)」
「…リクエストあるんなら聞いてやる」
「んーいいよーまかせる。ロヴィなら失敗とかないしね」
「ん」


「……よし」
「あ、切り終わったの?」
「まぁな」
「鏡は?みたいみたい!」
「まだ完成じゃねぇの!もうちょい大人しくしてろ」
「あとは何するの?」
「あ?メイクに決まってんだろ」
「…なるほど」



「ねぇロビー」
「ロヴィだコノヤロー」
「私、あんまりお化粧上手じゃないし詳しくもないんだけどさ」
「知ってる」
「…どんな感じにするの?」
「俺の好み」
「……あっそう」

適当にあしらわれてると思ったのか、少しだけ拗ねた顔をしてそれきりは大人しくなった。別に、ちゃんと答えたなんだが、まぁそれは後でいいか。髪も切って、メイクもして。「そのままでも十分」という俺と弟(まぁ言ったのはフェリシアーノだが)の言葉を信じてか、あまりメイクとかにこだわらない。だからこそ、こうやって丁寧に世話を焼くのも楽しくて、悪くないと思うのだ。俺が、俺の手が、お前を創りあげるのだ、と。泣き顔だって、消してやるさ。

メイクも終わり、前髪の形を整えてやって、俺が満足げに「よし」というと、がパァっと顔を綻ばせる。

「終わり?ねぇみてもいい?」
「あぁ」

が少しはしゃいでキョロキョロと辺りを見回し鏡を探す。俺は迷わず手を掴んで、そのままイスから立ちあがらせて大きな鏡があるところまで連れていく。きょとんとした顔をしながらも、俺に引かれるがままに着いてくる姿が愛しくて、我ながらいい腕をしてると思った。愛の力、なのかもしれない。

「ほらよ」
「……うわぁ…!」

鏡の前で手を離してやると、は目を見開いてそれに接近した。そして頬を紅潮させて、すごい、すごいと何度も繰り返す。そんな横顔を眺めて、俺は決心する。何か言おうとしてこちらを振り向こうとしたに腕を伸ばし、そっと片手で両目を覆う。驚いたのか瞬時に黙り込んだ背後に寄って、語りかける。


「…なに…?」
「俺は、お前が好きだ」
「!」

僅かに肩が揺れる。けれど、反応はそれだけで、大人しく耳を傾けたままだ。

「家族でも、兄妹でもない。愛してる」
「…ロヴィ…」
「ありのままのお前がずっと好きだった。お前はそのままでいればいい。俺がお前を、可愛くしてやるし綺麗にしてやる。お前を、最高の女にしてやれるのは、俺だけだ」

だから、ずっと一生俺の隣にいろ。

言い終えて、そっと手を外してやると、泣きそうに顔を少しだけ歪ませる。涙がこぼれ落ちそうだったので、せっかく俺が可愛くしたんだから、泣いて崩すなよ、と苦笑すると、きゅっと唇を噛みしめて小さく頷く。分かった、泣かない、と言うかのように。そうだ、泣き顔だって悪くないが、笑った方が絶対にいいぞ。そう思いながらも、その表情がたまらなく愛おしく感じ、俺は再度手を伸ばして顔をこちらに向けさせ、唇に触れようとした。

「ま、待って!」
「……何だよ、拒否権はねぇぞ」

カットとメイクの代金だ、と言うと泣きそうになりながらも、が小さく笑う。

「あの、ありがとう…優しくしてくれて、いつも私を喜ばせてくれて。幸せだなって、いつも思う。だから、だからこそ…もう少しだけ待ってほしい。散々悩んで、でも自分で決めて終わらせてきたの。ロビィの気持ちは、本当に嬉しい…だけど、今はまだ貴方が”好き”って言えない。簡単に答えちゃいけない、少なくとも今すぐなんて出来ないよ…。いつか必ず、ちゃんと返事をするから、今は、もうちょっとだけ待って…」

一瞬断られるのかと肝を冷やしたが、どうやら違うようだ。今日の今で、すぐに返事は出来ないという。俺としてはそんなオアズケみたいなこと、と思う気持ちもあるのだが、ここまで来たんだ。最後の最後、猶予を与えるくらい、どうってことないのもまた事実。何より、らしいと、思った。まっすぐ俺を見上げる彼女の前髪をかきあげて、勘付かれる前に素早く額にキスを落とす。驚いたのか大きく目を見開いたは、キスの意味が分かったのか、嬉しそうにほほ笑んだ。

「よし、とりあえずすぐに出かけるぞ」
「え?」
「せっかく髪もメイクも可愛く仕上げてやったんだ。中途半端なままじゃ俺の気がすまねぇ」

強引に手をひいて、二人分のコートを引っ掴んでに渡す。

「…どこ行くの?」
「服買いに行くぞ。俺が選んでやる。完璧なコーディネートが終わったら、デートだからな」

俺もコートを着てさっさと靴を履くと、慌ててブーツを履いて立ちあがったに、手を差し伸べる。
バレンタインなんだ、二人で洒落た日にして、何が悪い。

「俺が、最高に俺好みの女にしてやる。だから、さっさと好きって言えよ…コノヤロー」
「…うん」



La mia ragazza, il mio innamorato.

俺だけが知る、お前と俺の賭け。俺の勝ちでいいだろ?