今年のバレンタインは何にしようかなぁなんて、珍しく”らしく”ない乙女なことを考えていた頃のことを思い出すと、正直そんな自分がバカみたいに思えるのだから、女っていう生き物は素晴らしいというか、恐ろしいというか。

「ささ、もう一杯」
「おぉ、すいませんね」

そんなことを頭の片隅で考えながら、顔だけは笑顔を保てるのだから、働く女はもっとすごい。どうでもいいけど、課長この前健康診断の結果見ながら自分で禁酒宣言してたじゃない。お酌しながらもちゃっかりしっかり呑んじゃってるけど、知りませんからね。あと、さっきスーツにつけちゃった煮物のシミ、帰宅したらちゃんと奥さんに染み抜きしてもらうんですよ。


それにしても、世の中がバレンタイン一色なのに、なぜ私は時間外労働しなきゃいけないんだろう。




最後にアーサーと話をしたのは、数日前の電話。それまでは例年通り14日はデートのつもりだった。ところが電話に出てみると、かなり沈んだ声で『15日までどうしても仕事で会えない』と告げられたのだ。

残念に思わないわけではない。それなりに少し浮かれてネットでチョコ関係のレシピとか有名なお店とか調べて、どんなものを贈ろうかと考える程度には浮かれていたから。

けれど、基本的に彼は仕事が忙しい人で、デートやディナーがダメになるくらい今更どうってことなかった。このご時世、仕事があって忙しいなんていいことじゃない、無理しない程度に頑張って!というのが私の決まり文句であり、本心からの言葉だ。仕事を優先してくれて構わないし、落ち着いてから二人で遅めのバレンタインを過ごせばいいと思った。

と、自分で言うのもおかしいけれど、聞き分けが良いというか、理解しているというか、まぁもともとそういう性格なんだろうけれど。それでも、若干の残念さとか一抹の寂しさが全くないと言えば嘘になる。
そして追い打ちをかけるかのように、今日の夕方、さらなる私の楽しみが奪われたのだ。

この接待に。

友人と会う約束をしていたのに、帰り際突然課長に引きとめられ、接待に駆り出されてしまった。私から誘いをかけたのに自らドタキャン。さっきこっそり抜け出したときに連絡を入れて謝ったけど、本当に申し訳ないとしか言いようがない。デートどころか、女友達と遊ぶ楽しみまで奪われると、どうすることも出来ないといえばそうなんだけど、気分はどん底だ。

「バレンタイン前の晩なのに、さんには悪いことをしたねぇ」
「いえそんな、大した用事もありませんから」
「またまたぁ!君みたいな美人がないわけないだろう」
「本当ですよ、うふふ」

そつのない笑顔、大人になるってこういうことなのかもしれない。なんでこんなおっさん共に付き合わなきゃいけないんだと思いつつも、ここで失敗するわけにもいかないのでどうにか仮面をかぶって乗り切る。大して料理も食べれないし、もちろんお酒はほとんど呑めないし、会話はこんなだし、ホントもう最悪だ。

まったく、恋人に、『バレンタインに用事がない』なんて言わせないでよね…。
アーサー、会いたいな。





***




「はぁー…終わったー…」

最後は運転手付きで帰られる相手方を見送り、課長も奥さんの叱られない内にと早々に帰っていった。座りこんでしまいたいほど疲れていたけれど、大きくため息をついて少し落ち着いたので、足早に家へと向かう。もう、さっさとお風呂に入って寝よう。

家の前の道をとぼとぼと歩いていると、玄関の前に人影が見えた。足を止めて、疲れた目を凝らしてその姿を確認し、ハッとした。見なれた背格好に、暗闇でも分かる、金髪とあのちょっと幼い後頭部、間違いなくアーサーだ。

「アーサーぁ…?」

力の抜けた声でそう呼ぶと、気付いた彼は勢いよくこちらを向く。私は最後の力を振り絞って彼のところまで駆け寄った。

「え、なんでいるの…仕事は?」
「…抜けてきた。明日はどうしても来れないから、せめて今夜中にお前に会って、これを渡そうと思って」

そう言って差し出されたのは、赤いバラの花束。いつもデートやディナーのときにくれるものとは比べ物にならないくらい、大きい。私は受け取るよりも、まじまじとアーサーの顔を見上げてしまう。仕事詰めなのか疲れた顔をしていて、綺麗なグリーンの瞳の下には外灯による影じゃない、クマがある。髪も、いつもよりぼさぼさ。鼻の頭と頬が赤いことに気付き、私は花束にではなくそちらへと手を伸ばして触れてみた。思った通り、ひやりと冷たい。

「ずっと、待っててくれたの…?」
「……お前、ケータイの電源切ってたろ。メールもしたし、電話もかけたんだぞ」
「あっ…ごめん、接待だったから鳴らないように電源切ったままだった」
「ったく…」

ぶすっとした顔のアーサーにもう一度ごめんねと謝ると、まだ受け取っていなかった花束を胸の前に押し付けられる。今度こそそれを受け取って、花に顔を近づけて息をすると、甘い香りが胸いっぱいに広がる。ああ、そうだ、アーサーの匂い。

「ありがとう…でも、15日までは会えないと思ってたからまだチョコ用意出来てないの…ごめん」
「いい、会えたからこれで十分だ。花も渡せた」
「でも…家にあがって、お茶するくらいの時間、ある?」
「いや、すぐに戻んねぇと…」
「そっか…」

何もしてあげられないことが申し訳ないと同時に、情けない。こんなにも目に見えて疲れているのに、会いに来てくれて、ずっと待っててくれたのに。嬉しいのと、悔しいのと、たまらなく愛おしい気持ちが混ざり合って、涙がこみ上げてくる。泣きそうな私に気付いた彼がふっと微笑んで、そっと腕をまわして抱きしめてくれた。折角もらった花束だけど、その分だけ彼に遠いのがもどかしい。

、泣くなよ。バレンタインに涙はしょっぱすぎるだろ」
「う、ん…」
「You are my Valentine.」
「ありがとう、私も、大好き」

泣きながら小さく笑うと、アーサーが屈んで触れるだけのキスを落としてくれた。一度唇を離して至近距離で見つめ合い、今度は涙をぬぐうように目元にその唇が触れる。思い切り抱きつきたいけど、やっぱりアーサーに貰ったバラが私たちを僅かに遠ざける。まぁ、今日はこれで十分だよね。

「仕事、終わったらうちに来てね。チョコも料理も作るから」
「お返しはホワイトデーなんだろ?」
「どっちかなんて決まってないもの、欲張ってどっちもよ。まずはバレンタインからね」
「今日は、バレンタインには入らないのか?」

きょとんとした表情のアーサーに、背伸びをして瞬間的に小さく音をたてて頬にキスを贈る。驚いて目を見開き、顔を赤くする素敵な恋人。今夜はひとまず、これだけで許してもらおう。私はにやりと笑って、貰ったバラにもキスをしてみる。

「今日はバレンタイン・イヴ、ってところかな」

決めた、職場で配るのもナシだ。今年はアーサーにしかチョコは贈らない。
たった一人、愛する人のためだけに。




薔薇色バレンタイン・イヴ

"Happy valentine"は、もう少しオアズケ。