日も大分暮れて、空が燃えるような紅から、馴染み深いその色に移りゆく時刻
「まぁ、藍様ったら。相変わらず口がお上手ですのね」
くすりと袖口で口元を隠しながら小さく笑う目の前の、女官。
ただ偶然通りかかって、挨拶のように“いつもの口調”で話をしていただけのこと。
「心の声ですよ、美しい人」
しかし、そんな他愛ないやりとりでさえ、やはり楽しいものは楽しい。
思わず一歩、その艶やかな姿に近づき、誘うか誘われるかといったように、そっと飾られた耳元に唇を寄せた__瞬間だった。
相手の女官がハッと目を見開き、己の肩越しに視線を向けたことに気づく。
これからだというのに、一体…と思いつつも、初めてではない感覚に思わず眉をひそめてしまった。
横目で見た女官の頬にさっと紅がさし、その瞳が煌く。途端、全てを理解して、思わずため息を一つ。
「これは…大変申し訳ございません、とんだお邪魔をしてしまいました」
真摯に謝っているようで、絶対に楽しんでいるその声の主に、楸瑛は何ともいえない気分になった。
「…はぁ…、君という人は…」
女官が去った後で、楸瑛は片手で額を押さえながらため息交じりに嗜めるように呟いた。そんな楸瑛の叱咤、もとい嘆きの言葉をいかにも楽しそうな表情で受け止める、“”と呼ばれた、麗しの佳人。
月に照らされた淡い金色の髪が、白銀に煌く。同じ色の長い睫に縁取られた琥珀色の双眸は、蜜のように愉しげに揺らめいた。
「おや、また私のせいにするのですか?ご自分の負けを認めたらどうです?“藍様”」
「…どうしていつも絶妙なところで現れるのかな、君は」
「愚問ですよ。大体、この場所にふさわしくないのは貴方の方です。貴方は主上付の武官、私は主上付の医官。ここは後宮のすぐ近くで、私の自室はこの近く。そして、後宮は王以外の男子は禁制というもの。」
「……」
「まぁ私はいろんな意味で例外ですし筆頭女官殿にボウフラ扱いもされていないので比較的出入りは自由ですけれど」
お分かりですか?と小首をかしげて尋ねてくるに、楸瑛はうなだれるしかなかった。ひとまず、自分の目線より少しだけ低い位置でころころと微笑むから目を逸らすことにした。
何も言えなくて、ちょっとばかりかかなり己が情けない。そして、ちょっと憎いなと思う。その、愉しげな、可愛らしい表情が。
「…一体、どういうつもりなんだい?」
ちろり、と横目でを見ると、蜜のような輝きを秘めた双眸と視線が絡む。ドキ、と胸が高鳴ったが、必死にその動揺を隠した。何だか、本当にいろんな意味で負けている気がする。
「と、言いますと?」
「…いつもああいう時には必ずといっていいほど君が現われる理由、だよ」
「“ああいう時”というのは、貴方が女官とお戯れになっているときでしょうか、それとも、あと一押しでめくるめく愉しい一夜を迎えられた筈なのに、という時でしょうか?」
ああ、どちらも同じことでしたね、と余裕そうなの表情に何だか悔しくなった楸瑛は、白い頬にそっと片手を添えて、存分に低く甘い声で囁いた。
「妬いてくれるのかな」
さらさらと流れる髪の隙間から除く白い耳に、そっと唇を寄せて僅かに息を吹きかえ、再び琥珀の双眸を覗き込む。
するとは、すっと瞳を細め、楸瑛を見据えた。白く細い手がの頬に触れる無骨な手に重ねられ、形のいい唇がゆっくりと弧を描く。
「さぁ、どうでしょう」
楸瑛は耳に響いた甘美な音に、ぞわりと背筋に何かが走る。思わずこくり、と喉が鳴ってしまう。それに気づいたのか、は一度瞬きをして、重ねていた手を離しそのまま楸瑛の頬に添えた。温度の低い柔らかなそれが緩やかに楸瑛の頬を撫で、そして人差し指と中指の腹がそっと唇をなぞった。
「ご自由に解釈されてもよろしいですが、いい加減学習というものをされたらどうですか?」
僅かに触れていた指が離れ、今度は人差し指だけで弾力を確かめるかのように、唇を圧される。琥珀色の瞳が、熟成された酒のように、光る。
「愚行に走った分だけ、貴方は私には敵わない、ということをね」
不敵に微笑む佳人に、思わず楸瑛もふっと笑みを零した。
「…」
柔らかな頬に添えていた手を後方へとずらし、髪に手を差し込んで耳の後ろを掠めるように後頭部を支える。その腕に少しだけ力を込めての身体をぐっと引き寄せ、己の唇に触れていたその手を空いている方の手で掴み、今度は自ら、その指先に唇を押し当てた。かすかに小さな音を立ててから、そっと隙間を作る。
「君がいけないんだよ。私を焦らしたり、不安にさせたりするから」
「ご自分の悪行を棚に上げて人のせいにするとは」
「もともとの原因は君が私を構いもせず、こうやって触れさせてもくれないからだよ。大部分は君のせいだ」
するりとの後頭部を支えていた大きな手が髪をすり抜け、背中を辿って細い腰に添えられる。
が、僅か一瞬の内にその腕からはするりと抜け出した。あまりの身の軽さと、思ってもみなかった突然の行動に、さすがの楸瑛も動きが遅れてしまい、まんまと逃げられてしまった。
「最初の質問に、答えましょう」
「え」
「どうしていつも私が現われるのか、と尋ねたのは、貴方ですよ」
はふっと微笑んだ。月がその魅力を倍増させる。
「“愚行に走った分だけ、貴方は私には敵わない”、と言ったでしょう?愚かな行為をすればするほど、私はそれを見つけ、見破る。そして、口説いていた女性は貴方よりも私に媚びる。貴方は女性にも逃げられ、さらには私に弱みを握られる」
楸瑛の耳に、くすり、という音が届いた。
「だから貴方は私には敵わないのですよ、楸瑛。恨むのなら、私に劣るご自分と、簡単に目移りする女性たちをお恨み下さい」
それでは私は失礼させていただきます、と優雅に身を翻しては自室へを向かって歩みだした。音もなく、静かな足取りで、その姿は闇へと消えてゆく。
残された楸瑛は、しばしその残影を見つめ、そして天を仰いで鈍く光る月を見上げた。
「本当に、負けっぱなしだ」
苦笑と、落胆と、少しの興奮と。
いろんなものが入り混じった彼の呟きは、闇へと溶けてゆく。
とりあえず、男装の恋人にこれ以上負けるのも癪なので、遊びは止めようかな、と情けないことを心に決めた楸瑛であった。
敵わぬ相手
だからこそ、その愛は燃え上がる
ハイ、意味がわかりません。
とりあえず言っておきますが、“女主人公”です。男装です、主上付医官(また出たよ謎設定…)です。分かりにくいですが、楸瑛とは恋仲のようです。女性なんだけど、男装していて、しかも楸瑛よりも女性に人気なわけです。楸瑛よりも遥かに上手です。でも主人公、かっこつけてるわりには、質問の答えになってないですね。そこは管理人の頭と文才が不足しているだけです。
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