暗闇の中、窓から僅かに月が覗き、控えめに部屋を照らす。
 
深夜、黎深はそっと目を醒ました、というか開いた。
部屋の明かりを消し、百合の「おやすみ」という言葉を聞いて、どれくらい経ったか分からないが、それから彼はずっと起きていた。
 
「…眠れん」
 
苦々しく静かに呟いた言葉は、静まり返った闇に消えてしまう。
どちらかというと寝つきのいい彼には珍しく、今夜は何故かなかなか寝付けなかった。
 
それもこれも、全て百合のおかしな行動のせいだ…と胸の内で思う。
音になるか鳴らないか程度に、小さく舌打ちをした。
黎深はゆっくりと上半身を起こし、流れ落ちてきた髪を軽くかき上げる。そして先程まで背を向けていた相手を、静かに見下ろした。
 
黎深が寝付けないことなど知らず、百合はぐっすりと眠っていた。小さな寝息の律動に合わせて、黎深に比べて一回り以上も小さな身体が規則的に上下する。ただ、顔は見えなかった。百合も黎深に対し背を向けて寝ていたからだ。
 
「……」
 
そんな彼女の様子を眺めていると、ふと敷布にしなやかに流れる、柔らかな髪が目についた。
月の光を受けると、それはきらきらと光を放つように艶を表す。そっと手を伸ばし、触れてみる。百合の髪は触り心地が良く、黎深はそれが好きだった。だからこうして、何度も何度も、梳くように撫でる。
 
「…百合」
 
髪を撫でながら、何となく名前を呼んでみた。分かってはいたが、起きる様子は無い。
起きたらそれはそれでこの状況をどう説明したものか、と思うが、それでも少しだけ腹が立った。
 
「お前のせいで私は眠れないんだぞ」
 
ほんの少しの力を込めて、髪を一房掬って引っ張ってみる。何度やってもあまり力が入っていないせいか、何の反応も無い。それがまた黎深を不機嫌にさせ、先ほどよりも強い力で髪を引っ張る。
 
「ぅ、んん…」
「!」
 
もぞもぞと僅かに百合が動き、黎深は動きを止める。起こしたか…?と静かにその様子を眺めていると、急に百合はこてん、と寝返りを打った。
 
「ん…」
「…百合、」
 
目を醒ましたのかと、念のため一度呼んではみるが、すやすやと眠ったままで返事は無い。ただ寝返りを打っただけか、と黎深は短く息を吐いた。それから、寝返りを打ったことで黎深の方を向く体勢になった百合を、じっくりと眺める。長い髪が顔に掛かっていて、邪魔そうだなと思った黎深はそっとそれを払ってやる。
 
「…黙っていれば少しは見れる顔だな」
 
ぽつりと零れた言葉だった。普段黎深は百合の外見を褒めたりはしない。別に見た目が悪いからというわけでもないが、黎深が気に入っているのはその外見よりも中身だった。だから顔がどうだとか髪がどうだとか、そういったことはどうでもよく、気にも留めていなかった。
けれど、こうやって改めて見れば、それなりに見れる顔だと思う。そういえば養い子が百合に対し「百合さんはとても綺麗ですっ」と真剣な顔つきで褒めちぎっていたな、と思い出す。百合はほんの少し照れながら苦笑を零していたが…
 
「フン」
 
起こしていた半身をゆっくりと倒す。黎深は枕に肘をついてその手で頭を支えた。今度は背中を向けるのではなく、百合の方を向いて。再び眠りにつくまで、百合の顔でも見て暇でも潰すか、と決めた黎深は空いている手でまた百合の髪、というか頭を撫でてやる。
 
「全く、この私を差し置いて自分だけ気持ちよさそうに眠るとは…」
 
声色こそ呆れ気味ではあったが、その表情はどこか穏やかなもので、恐らく本人も気づいていないだろうが僅かに目元の緩めそして笑みを浮かべていた。
 
「起きたら覚えていろ」
 
と、悪役極まりない言葉を静かに零し、黎深は肘をつくのを止め、枕に頭を落とす。そして僅かに百合に近づき、さらに頭を撫でていた手でそっと彼女を引き寄せ、閉じられた柔らかな瞼にそっと口付けを一つ贈り、そのまま自身も眠りに耽っていった。
 
 
 
 
さて、黎深の言葉を裏切って全くもって覚えていなかった―――そもそも知るはずも無いのだが―――百合が半分ほど目を醒ました時、身動きがとれず、何故か至近距離にある黎深の寝顔と何故か己が黎深の抱き枕になっている状況に大いに混乱するのは、月が隠れ、心地よい朝日が差し込む翌日のことだった。

 
 
 
眠れる君に、口付けを
 
 
 
一体この殿方はどなたでしょうか(真剣)なんですかこの甘くそけったくそな雰囲気は。似非黎深にも程がありますね。まるでどこぞの常春男のようだ…(後悔&反省)