ぶんじつ! 1 





新学期になって、私は氷帝の最高学年となった。
とは言っても、これといって大きく日常が変わるわけでもない。クラスは昨年からそのまま持ちあがりで、担任も偶然去年と一緒。席替えも早々に済ませると、あっという間にいつもと変わらない日々が再開した。


休み時間、私は友人の机の周りで他愛ないおしゃべりに耽っていた。その輪に、同じクラスの滝がひょっこり顔を出す。

、ちょっといい?」
「うん?」
「廊下でね、跡部が呼んでるんだ」

ニコッと笑った滝に、私はきょとんとしてしまう。周りが一斉に「やだ!今年最初の跡部くんからの呼び出しじゃん!」と、甲高い声をあげたが、さすがに2年目ともなると明らかに面白がっているがありありと分かる。

「行っておいでー!てか、跡部様と待たせるでない!」
「はいはい、行ってきますよー滝ありがとね」
「いえいえ」

テニス部では結構腕の立つ滝だけれど、普段は中性的な印象が強く、私たち女子からしても親しみやすい存在だ。「行ってらっしゃい」と手を振られ、私は皆の輪から抜けて、廊下に出た。

「遅ぇ」

ドアから顔を出した瞬間、腕を組んだ状態で壁にもたれかかっている男から、不満の声があがる。

「ごめんごめん、どうしたの跡部」
。お前、文化祭の実行委員だったよな?」
「うん」

あぁ、その話か。そういえば、もうそんな時期だね。
跡部の言うとおり、私は1年の頃から文化祭実行委員会の一人だ。なので、生徒会長である跡部と、そこそこの顔見知りだったりする。

「もしかしてそろそろ本年度最初の会議とか?」
「あぁ。その前に、実行委員長は決まってるのか?顧問からはお前だと聞いたぜ」
「あーうん、一応先代の指名で、私ってことになってる。まだ正式決定じゃないけどね」
「アーン?まさかやらねぇとか言うんじゃねーだろうな」

形のいい眉が、しっかりと眉間にしわを作って寄せられる。そんな顔ですら様になってるんだから、美形というのは羨ましい限りだ。

「やるつもりではいるよ。他にやりたいって立候補者がいなければ」
「よし、お前がやれ。わざわざ立候補者は募らなくていいぜ」
「…どういうこと?」

跡部の言葉の意図が分からず、私は怪訝な顔をして首を傾げた。すると、跡部は組んでいた腕をスルリと解いて、手に持っていた書類を私に向けて差し出した。私はそれが何か分からないまま、手を伸ばして受け取った。

「これ、何?」
「…放課後までに目を通しておけ。それと、HRが終わったら、生徒会室に来い」

低い声と、険しい表情の意味が分からず、私はますます首を傾げた。なんだろう、機嫌が悪いのかな。とりあえず素直に「分かった。放課後までに見とく」と返事をすると、跡部が静かに頷き、そして「じゃあな」と自分のクラスへと戻って行った。

一体どうしてあんなにこわい顔をしていたのだろう、そう不思議に思いながらも、丁度予鈴が鳴ったので、私は自分の席に戻った。そして次の授業の準備をしながら、跡部から受け取った書類を改めて見る。

「これ、去年の文化祭の、アンケート…?」

それも、どうやら職員の意見をまとめたもののようだった。
どうしてこんなものを…?と思いつつも、一枚一枚捲って、内容に目を通していく。

読み進めるにつれ、私は自分の頭がすうっと冷えていくのが、分かった。跡部のあの表情がどういう意味のものだったのか、やっと理解出来た。




HRが終わって、私は席を立った。
跡部から渡されたアンケートを手に持って、約束通り生徒会室に向かう。

道中、誰か一人でも先生とすれ違ったりすることがなくて、本当に良かったと思う。もし視界に入ってきたりしたら、絶対睨んでしまう自信があった。アンケートを持つ手に、力が入る。

目的地に着いて、ドアをノックすると、中から「入れ」と声が返ってきた。私は静かに扉を開けて、生徒会室に入った。

「来たか」
「…跡部、」
「待て。一先ず、そこに座れ」

生徒会長用のデスクで何かの書類に目を通していた跡部は、すぐにでも本題に入ろうとした私に向かって制止の声をかけた。そして、視線で室内のソファを見遣り、座るよう促す。私は言われた通り、ソファに腰掛けた。

「その様子じゃ、ちゃんと目を通したようだな」
「生徒会長直々に、読めって言われたしね」
「で?お前の率直な感想を言ってみろ」

鋭い双眸に射抜かれる。跡部は、もう私の考えなんかとっくにお見通しなんだろう。だからと言って、何も言わずにはいられなかった。

「これ、どういうこと!?何なのこのアンケート…!」

私は手に持っていたそれを、勢いよく目の前のテーブルに叩きつけた。言いたいことが沢山あるはずなのに、何から言えばいいのか分からず、奥歯をグッと噛みしめる。

跡部に手渡された書類の内容は、昨年の文化祭に関する職員の意見をまとめたものだった。しかしその内容は、振り返りというよりは、文化全体を通して一部であがっている不満の声をまき散らしたものばかりで、無記名であることを知った上での言いたい放題な内容が大半だった。

「何もしてない先生が勝手なこと言いたい放題…、運営側のことなんてこれっぽっちも知らないくせに、分かったような口きかれて、腹が立つ…!大体、この『実行委員の存在意義が分からない』ってどういうこと!?そんなの文化祭の全体運営そのものが『存在意義』に決まってるじゃない!『生徒会がやればいい』とか、何が根拠でそんなこと言ってるわけ!?」

怒りがおさまらない私を、跡部は真っ直ぐと見てくる。
だめだ、少し落ち着かなきゃ。このままじゃ、跡部に八つ当たりすることになる。これは跡部の意見じゃない、相手が違う。

「その意見は、生徒会の方にも度々持ち込まれている。もともと生徒会の負担を減らすため、文化祭や体育祭の実行委員を設けることで役割を分散させていた。だが、それを『非効率的だ』と言う意見もある」
「…どうして、何が、非効率的なの…」

何とか冷静になろうと必死に気持ちを抑え、跡部の方を向く。お互いの視線がぶつかり合って、私は僅かに息を飲んだ。

「文化祭に限ったことじゃないが、実行委員が生徒会に頼りっぱなしだからだ」
「頼りっぱなし…?」
「新しい企画も、改善案も、毎度毎度職員に交渉しに行くのは生徒会長のこの俺だ。お前たちは直接説得して回るわけじゃない。自分たちの考えを通そうという意思が、感じられねぇ。そのアンケートに書かれている内容は、そういう意味だ」

私は言葉を失った。茫然として、少しの間だけ思考が止まってしまう。考えることを放棄しそうな脳を、それでも動かして、過去の活動を思い起こす。そして、一つひとつ整理しながら、跡部の言うとおりだと思った。

「…確かに、企画書を生徒会に提出して、そこでOKが出れば良し、ダメなら諦める…そういう風にやってた」
「それが正しい方法であり、普通なんだがな。ただ、職員側からすれば、生徒会ばかりが動いていて、実行委員は何もしてないように見えたんだろ。だから、『実行委員の存在意義が分からない』なんて意見が出た」

言い終えて、ふぅ、と息をつく跡部は、もしかしたら私を慰めようとしてくれたのかもしれない。そうでなかったとしても、今の言葉は確実に私を諭すためのものだった。それが少しだけ嬉しくて、先ほどよりも冷静さを取り戻すことが出来た。

文化祭実行委員の存在意義___それは、文化祭全体を運営し、盛り上げていくこと。例年通りの手順に則ってただ進めていくだけじゃ、私たちが存在する必要はない。



呼ばれて、俯き加減だった顔を、再び起こす。跡部の青く澄んだ瞳が、私の視線をしっかりと捕えた。

「今の、俺様の生徒会の手にかかれば、実行委員会を廃止して文化祭の運営なんざ、大した手間じゃねぇ。やれと言うなら、いくらでも出来る」

自信過剰でも、何でもない。跡部の言うことは、事実だ。私は悔しくて涙が出そうになるのを、必死に堪えた。唇を噛み締め、制服のスカートを僅かに握りしめる。

「それでも、お前ら実行委員が懸命に活動してるのを、俺は見てきた。お前自身のこともな」
「……っ」

ふっと不敵に微笑む跡部は、とても偉そうで、自信に満ち溢れていて、それでいて酷く優しい瞳をしている気がする。その言葉の先を、跡部は言わない。きっと、私が己の決意を口にするのを、待っているのだ。

「…跡部、」
「アーン?」

ギュッと両手の拳を握る。涙はすぐに引っ込んだ。

「やって、やろうじゃない。文化祭実行委員長の名にかけて、氷帝の歴史に残る文化祭にしてみせる」

言葉にすると同時に、決意が固まった。自然と、私の口角も吊りあがる。跡部の目を真っ直ぐと見据えて、「やってみせる」と言い切る。跡部はイスから立ち上がり、私の目の前まで歩み寄って、腰を屈めて視線を合わせてくる。そして今度こそ、ニヤリと笑った。

、その言葉に二言はねぇだろうな。アーン?」
「当然。だから、協力してね、生徒会長様」


かくして、私の戦いは始まった。