あの日、貴方と歩いたあの時間
私はきっと恋に落ちた
続 相合傘
「あ、雨」
友人が空を仰いでそう言った
その言葉につられて、も上を向く
「んッ」
ポツッと冷たい雫が落ちてきた
「えー、今日傘持ってないのに…」
予報だと降水確率は20%だったはずなのに
仕方ない、本降りになる前に急いで帰ろうと帰路に立つ
「ほな、またねー」
「ウン、ばいばーい」
友人との別れ道に立ち、手を振って自宅に向かった
雨は先ほどよりも強まっていた
ふと近くのコンビニが目にとまった
「傘…」
買おうかな、と一瞬思ったけれど結局寄らなかった
これくらいなら大丈夫だろうと、妙な確信があったから
彼女はそのまま早足で歩き始めた
そして5分も経たないうちに、傘を買わなかったことを後悔した
「濡れるー!」
急に雨脚が強まり、雫が大きい物に変わった
多少の水なら弾く制服も、すでにびしょ濡れ
頭からローファーの中の足の先まで冷たい感覚に襲われた
「冷たい…ッ」
どしゃ降りの雨の中、ふとある場所が視界に入った
記憶に新しい、シャッターの閉まった店の前
一瞬の躊躇いもなく、はその店の軒下に駆け込んだ
「あーもー…最悪…」
濡れた髪を掻き揚げて大きため息をつく
制服も、足元も、完全に水分を含み、髪から雫がぽたぽたと慕ってくる
制服同様びしょ濡れになったカバンを開け、そこから小さいタオルを取り出した
カバンの中に大した物が入ってなかったのは、幸いかもしれない
顔や髪の水分を拭って、最後にカバンを拭く
「…これ、拭いてもまた濡れたら意味無いよねぇ」
この雨の中、もう少しの距離を行く程の気力は、今は無かった
仕方なく、とりあえず少しばかりここで雨宿りをすることにした
まるで水の入ったバケツをひっくり返したみたい、
どこかで聞いたことのあるフレーズが、彼女の頭の中に浮かんだ
軒下の、壊れかけたベンチに腰掛ける
十分濡れてたけど、どうせ自分も濡れてるからあまり気にしないで腰を下ろした
「やむのかなぁ」
普通のボリュームの声すら雨音にかき消されてしまう
膝の上のカバンを抱えて、ぼんやりと雨雲を見つめる
そしてやむ気配の無い雨に大きなため息を零し、背もたれに身体を預け、ゆっくりと目を閉じた
不思議と落ち着く空間
ふと思い出すのは、前の雨の日に出会った人
どこかで期待してる自分
“また、会えるんじゃないか”
そんなに簡単に偶然は起こらないし、前回とも状況は違う
それでも、心のどこかで 南 烈 という人を想う
雨がやむ事をではなく、その人に会うことを望んでいた
「何、考えてるんだろ…」
自分で自分が可笑しくて仕方がない
そわそわと落ち着かない気持ち、けれどそれは決して悪いものではなく、曖昧なところで留まっている
「?」
「え…ッ」
聞き覚えのある声
「み、南さんッ?!」
一瞬の、出来事
見上げれば、胸が苦しくなる
ずっとずっと待っていた人だった
「何してん、こない濡れて」
「あ、雨宿りを…」
慌てて立ち上がり、急に恥ずかしくなって俯いた
心臓がこれでもかってくらいに早鐘を打つ
濡れて冷えきっていた身体に一気に熱が走った
雨音のせいで、そして目を瞑ってぼーっとしていたせいで
は南の気配に全く気づかなかったのだ
不思議そうにを覗き込み、南は素朴な疑問を抱く
「今日は、傘持ってへんかったん?」
「あ、ハイ…予報で、降水確率低かったんで…」
油断しました、と尻すぼみになりながらも告げれば、小さな笑い声が届く
ゆっくり顔を起こして彼の顔を見れば、少しばかり緩んだ優しい笑みを浮かべていた
「油断は、アカンなぁ」
その一言で、もう何も聞こえなくなった
雨音も、時折通る自動車も
ただ五月蝿い胸の鼓動と南の声だけが、彼女の脳を支配した
「うっわ、びしょ濡れやなぁ。風邪引くで」
呆れたように言うと、南はスポーツバッグからタオルを取り出す
そしてそれを広げて、彼女の頭に被せ、そのまま両手でかき回す
「わッ!?」
突然の行動に驚きそして恥ずかしくなったは声をあげて身を竦める
「大人しくし、すぐ終わるて」
「あ、あのッ…いいですッ!」
「動くな!」
「ハイッ…」
少し強く言われ、その迫力に思わず返事を返してしまう
そして、自分が素っ頓狂な声で返事をしたと気づいたときにはすでに南の肩が揺れていた
「わ、笑わないでください…」
「いや…スマン、…うけンねん自分」
「う、うけるって…」
彼女の頭に乗せたままの状態の腕に自分の頭を寄せ、南は口元を隠す
しかし結局は肩が上下しているので隠す意味が無い
恥ずかしいやら困ったやらのであったが、彼女もつられて笑みを零した
「よし、」
ようやく満足げにタオルをとった南に、は軽く頭を下げる
「アリガトウゴザイマス…」
「ん」
南はそのタオルを畳まずにカバンに押し込み、はぼさぼさになった髪を手で梳く
そしてお互い手が止まったところで、改めて向き合った
「…」
「…」
急に互いの視線が絡み、奇妙な沈黙が生じる
だんだんと顔が熱く感じられたは、首を傾けて自分の足元に視線を落とした
そのせいで、自分よりも背の高い南の顔は見えなくなった
だから、彼女は南が片手で口元を覆ったのを知らない
その耳がほんのり紅かったことも…
下を向いて何か話題を出さなきゃと考えていると、ふと目にとまるものがあった
「あ…南さん、今日は傘持ってるんですね」
「あ?あぁ、これか。さっき買うたわ。そこのコンビニで」
その言葉には顔をあげる
先ほどの自分と全く同じことを彼は考えていたのだ
ただ結果としては、南は傘を買い、は買わなかったが
「雨、やまんな」
「…ですね」
2人はゆっくりと空を見る
さっきよりは弱まってきたようだが、まだまだ止む気配は無い
南は再びの方を見た
「送ってこか」
「え…?」
バンッ、と音をたてて南はビニール傘を広げた
傘についていた雫が一斉に舞う
「待ってても止まんで、これ」
「あ…ハイ」
どうしよう、とは思う
正直その好意は嬉しい、今の自分にとってこの上ない幸運かもしれない
けれど、同時に恥ずかしいとも感じる
今こうしているだけでドキドキが止まらないというのに、一つ同じ傘の中だなんて心臓がはち切れるかもしれない
究極の選択に迫られ、様々な思考をめぐらせている彼女を見て
南はじれったそうに眉を寄せ、そして
「行くで」
「!」
強引に彼女の腕を引っ張り、自分の傘の中に引き込んだ
掴んだ腕が細くひんやりと冷たくて、心臓が大きく弾んだ
突然の出来事を必死に理解しようと努めるが、それでも冷静になることは出来ない
講義の言葉も遠慮の言葉も何も言わないうちに南が歩き出したので流されるがままになってしまった
どれくらい歩いただろうか
5分、10分、15分…時間の感覚がわからない
視界は悪いし、雨音は五月蝿い
いつもなら歩くたびに跳ねる水が気になるけれど、今日はそれすらも頭に無い
同じ傘の中に2人
それは非常に嬉しいことでもあったが、非常に居心地の悪いものでもあった
互いが互いを意識していて、どことなく緊迫した雰囲気が2人を包み込む
何か話そうと必死に考えても、鼓動がそれを妨害して何も考えられない
時折掠めるように触れ合う腕に神経が集中してしまう
「…」
「…」
もどかしい沈黙の静けさとは裏腹に、2人の鼓動は相手に聞こえてしまいそうな程五月蝿い
逃げ出したい想いと、ずっとこのままで居たいという想いは2人とも同じ
結局沈黙のまま、気がつけばの家の前まで着いてしまった
玄関の軒下まで行って、は南と向き合った
視線は泳いだまま、腰を折って頭をさげる
「あの、ありがとうございました」
「ええよ、これでおあいこや」
“おあいこ”
その言葉に寂しさを感じずにはいられない
これ以上の貸し借りはもうない、つまり2人を結ぶものはもう何も無いのだ
雨の日しか会えない、悲しさ
貸し借りがなければ一緒にも居られないこの関係は2人の胸を苦しめる
「なぁ、」
不意に、南が沈黙を破った
は少しだけ驚いて、それでも彼の顔を見上げる
視線が絡んで、捕われて、外せなくなった
南が持っていた傘を下ろして、雨に打たれているのに気づいていても
は動けなかった
「俺は、お前のことほとんど何も知らん。お前も、俺のことあんま知らないやろ?」
「…はい」
その言葉にズキンと心が痛む
「俺らは、雨の日にしか会えんのか?」
「え…?」
「雨でなくたって、一緒におったらアカンのやろか」
「南さ、ん…」
「俺は、雨でお互いが傘持っとっても、雨やなくても、と一緒に居たいと思うで」
意味、わかるやろ?と南が苦笑するとは紅くなってそして小さく頷いた
雨足が少しだけ弱くなってきた
「私も、…晴れの日でも、南さんと一緒に居たいです」
精一杯の返事
重要な単語が無くても、互いに十分に伝わる想い
南は安堵したようにふっと笑みを零す
そして少しだけ屈んでの顔を覗き込んだ
「晴れでも雨でも、また明日な」
「…はい…」
一瞬、南の唇がのそれを掠めた
「またな」
「…ッ」
真っ赤な顔で目を見開いてるに軽く手を挙げて、南は傘を持って帰っていった
雨がほとんど止んだ
どこかで虹が出るかもしれない
玄関の前に立ち尽くしたは混乱した頭の中で必死に考える
明日、どんな天気だろうと彼に会える
今夜は眠れないかもしれない
でも、早く寝よう
早く眠りにつけばきっと
明日はすぐに訪れる
雨の後、虹で結ばれた2人の想い
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