ぶんじつ! 3
3年になると、1,2年の時とは違ってあっという間に日々が過ぎていってしまう。
そんな感覚を覚え始めた、1学期も終盤にかかった、夏の頃。
ついつい実行委員の仕事に夢中になってしまうけれど、本業というか本来やるべきこともあって、毎日大変だ。
「よっしゃー…数学おわったー」
学期末試験の山場をたった今乗り越え、私は全身の力を抜いて机の上に寝そべる。思い切り息を吐いて脱力していると、が席まで寄ってきた。
「おつかれー」
「疲れたよーもう寝不足」
「はは、数学だけは得意の暗記じゃどうにもならないからね、頑張った頑張った。明日は公民と古典だから楽勝でしょ?」
「まあね〜ノート丸暗記で乗り切ってみせますよ〜」
ふにゃふにゃと力なく答えると、「ふふ、それもすごいね」とさらに別の声が耳に届いた。
「あ、滝」
「お疲れ様。実行委員の仕事もあって、試験勉強もやって、は偉いよ」
柔らかい声でストレートに言われてしまうと、嬉しいけれど何だか照れくさくて、「うーん…」と唸りながらもぞもぞもと動いて顔を伏せてしまう。赤点をとるわけにもいかないし、だからって役目はきっちりこなさなきゃ済まない性格だし。実行委員の方は、義務感以上に楽しくて仕方がないのもある。
「…あ、」
不意に、何かに気付いた滝が声をあげる。私はそれにつられて、のっそりと顔を起こした。
「、待ち人がいるよ」
「え?」
片手で口元を覆いながらくすくすと笑う滝が、その手でそっと廊下の方を指差した。指の動きに従って横を向くと、教室のドアの外に跡部が腕を組んで立っているのが見えた。相変わらず俺様の表情だけれど、滝の笑いのせいで僅かにむっとして、眉間にしわを寄せているのが分かる。
「ほら、待たせちゃ悪いでしょ!」
「いッた!!」
バシッと背中を叩かれ、その痛みに私は慌てて立ち上がる。もう、わざわざ叩かなくてもいいじゃないか…とぶつくさ文句を言いながら、しぶしぶドアのところにいる跡部の元へ向かった。
「跡部、どうしたの」
首を傾げながら用件を尋ねると、腕を組んだ跡部はしばらく黙ったままじっとこちらを見つめてきた。そして、無言のまま腕を解いて、片手を私の顔へと伸ばしてきたので、驚いた私はびくりと肩を震わせる。
「な、」
何、と言おうとした途端、伸ばされた跡部の手が私の頬をつねった。
「ちょっ、あほべ!!」
「誰があほべだ。お前、隈出来てるぞ。さては数学の試験のために徹夜しただろ、アーン?」
ハッと人を小馬鹿にしたような笑いを浮かべて、つねっていた手がようやく離れていく。強くつねられたわけではなかったので痛くはないが、間抜けな顔を見せたと思うと恥ずかしくて、跡部の手が触れていた部分を片手でさすりながら、思い切り睨みつけてやった。
「仕方ないでしょ!数学が一番苦手なの!忙しいから直前にやるしかなかったのよ!!」
ムキになって言い返すと、一瞬、跡部が真剣な表情を見せた。あれ?と不思議に思ったが、すぐに先ほどつねってきた手で頭を軽く叩かれ、「隈なんか作ってんじゃねーよ」と言われる。その声がどこか優しげな、心配するような声色をしていたような気がして、少しだけ顔が熱くなった。
「ったく、自己管理がなってねぇ証拠だぜ」
「あーもう、うるさいな…小言いいに来たわけ!?」
「そんなわけあるか。文化祭の、パンフレットの件だ。そろそろ発注する頃だからな」
からかいモードから急に仕事モードに切り替わった口調に、内心どきまぎしていた私もすっと冷静になる。
「それならあとちょっとで出来あがるかな。今日も放課後、あの子と作業進める予定。ほら、実行委員の、テニス部の2年生くん」
「鳳か。試験期間で練習はないが、今日はレギュラーだけミーティングを行う。終わったら部室に顔を出せとに言っておけ。じゃあな」
言うだけ言って、跡部はさっと踵を返し自分の教室へと戻って行った。
真面目な用事があるのなら、人のことをからかっていないでさっさと済ませればいいのに、と思い、その一方で先ほどのやりとりを思い出して、また少し頬が熱くなって、冷ますように手の甲で触れた。
「何がしたいんだか…全く」
席に戻ると、ずっと私と跡部のやりとりを見ていた滝とに、「いいもの見させてもらった」と笑われ、私は再び机に突っ伏すことになった。
放課後、例の鳳くんが教室までやってきた。委員会で何度も会っているが、相変わらず背が大きい。
「お待たせしました、先輩」
「鳳くんいらっしゃい、さ、入って入って」
失礼します、ときちんと礼をして教室に入ってくる彼に、なんて礼儀正しい子なんだろうと感心してしまう。
「大体は出来あがったから、あとは細かいデザインの修正と、原稿の校正やったら発注ってところかな」
「わ、先輩、もしかしてお一人で進めてくれました?」
大きな身体を丸めて、机の上の原本を見つめる鳳くんが子犬のような表情でこちらを見つめてくる。申し訳なさそうに眉を下げ、「すみません…何もかもやってもらってしまって…」という言葉に、ますます良い子だなぁと感心してしまった。
「いいのいいの、むしろ勝手にごめんね。出来るところは進めて早めに発注かけた方がいいかなぁと思って」
「本当にありがとうございます」
「いやいや…今日跡部にもそろそろ発注する頃だって言われたから、鳳くんにチェックしてもらって特に問題なさそうだったら明日には頼もうと思う」
「はい!」
気持ちのいい返事に、私もにこやかに笑って、二人で校正作業に取り掛かった。
鳳くんは本当に良い子で、真面目に作業を進めてくれる。しかも、とても人懐こいので、手はしっかり動かしながら他愛ない会話もテンポよく弾んだ。学校生活の話や、文化祭の話、テニス部の話などとにかく話題が尽きない。そして、何の話の流れか忘れてしまったけれど、私は今日の出来事を彼に話した。
「もう、突然人の顔つねるなんて、失礼しちゃうと思わない?こっちは苦手な数学赤点とらないように必死だったってのに!」
「あはは、でも、意外ですね…いや、ある意味跡部さんらしいのかもしれませんけど」
「?いかにも跡部じゃない?人が必死なのを小馬鹿にしちゃってさ」
うっかりどきまぎしかけたことはさすがに言えないので、からかわれたことを強調して『跡部らしい』と表現すると、鳳くんは少しだけ困り顔で、笑っていた。
「跡部さんは…きっと、先輩のことを心配していたんだと思いますよ」
「えー…ふつう心配してる人のこと、つねる?」
「そこは、部長なりの愛情表現というか…そういうことに関しては、どこか不器用な人ですから…」
「うーん…跡部が、ねぇ…」
鳳くんの言葉は、嘘でもお世辞でもなく、心からそう思って尊敬している、といった響きを含んでいる。私はそれを、理解できるような、でも素直に受け入れたくないような、なんとも複雑な心境だった。
「そもそも、今年の文化祭実行委員に俺が加わったのも、跡部さんによるものなんですよ」
その言葉に、私はきょとんとしてしまう。何それ、初耳だ。
「そうなの?」
「はい。新学期になってすぐ、『2年の文化祭実行委員の人数が不足しているから、お前が入ってついでに学年代表も務めろ』って、跡部さんに言われたんです」
「そう、だったの…そういえば、鳳くん継続メンバーじゃなくて、新規のほうだったっけ」
役職上、活動中の関わりも多かったし、何より普通に学年代表を務めてくれていたから、前からいたような感覚だったけれど、よくよく考えてみれば彼は今年になって文化祭実行委員に加わった人だったことを思い出す。継続メンバーと一緒になってとても頑張ってくれているから、すっかり忘れていた。
「跡部の人選は間違ってなかったねー実際、鳳くんがいてくれてかなり助かってるんだよ」
「ありがとうございます。でも…時々思うんです、俺は先輩を支えるために跡部さんから実行委員に推されたんじゃないかって」
ふふ、と笑う鳳くんは、その体格に似合わずとても可愛らしい。鳳くんの言葉の意味が理解出来ず、現実逃避するかのようにこんな弟がいたらいいのになぁという思いが頭の中を占める。
「…まさか、そんなことないと思うよ…鳳くんがしっかり者で、みんなの為に頑張る人だから、実行委員に向いてるって思って、そう言ってきたんだよ」
「いえ、俺…懸命に何かに取り組むことが出来ますけど、周囲の意見をまとめたりするの、あまり得意じゃないんです。こうやって、誰かのお手伝いをするのは好きですけど、本当は代表とかそういうの苦手なタイプなんですよ…」
困り顔で苦笑を浮かべる鳳くんに、私は「え〜…」と不満の声をもらしてしまう。謙遜してるとしか思えない、それくらい彼の存在は有難いものだった。委員会全体としても、私個人としても。
「跡部さんは人を見る目がありますから…学年代表というのはあくまでポジション的なもので、実際は実行委員長の先輩をサポートする為に俺が選ばれたんじゃないかって。その方が自分でもしっくりくるんですよ」
まるで祈りの言葉のような、大事なものを慈しむような声色でそう言われ、私は手も思考も止まってしまい、ただただぽかんと鳳くんの顔を見つめてしまった。
跡部が、私のサポートの為に、鳳くんを抜擢したんだと、彼は言う。最初から、その役目のためだけを任されたのだと、心底信じているような鳳くんの様子に、私はとても不思議な気持ちになった。そして、今日奴につれられた方の頬が、じわりと熱くなった気がした。あの、真剣な眼差しと声を思い出してしまい、胸が苦しくなる。
「あ…すみません、俺何だか余計なことを…!」
動揺しているのが顔に出ていたのか、鳳くんが慌てて両手を振りながら「俺の勝手な予想なんで…何となくそんな気がしただけで…!」と言う。あまりにわたわたしているその様子が面白くて、私は少し笑ってしまった。仕草だけが、小動物みたいな子だな。
「何だか、跡部が鳳くんを指名した理由が、分かる気がする。なんていうのかな、もともと出来る人なんだろうけど、もっとこう…人柄を見込まれて君だったんじゃないかなぁって思う」
「それは…俺なんかより先輩の方が、きっとそうに違いありませんよ」
「ふふ、ありがとー」
これ以上この話題を引っ張ってしまっては鳳くんが可哀そうだし、何より私の心臓がもたないので、手元の仕事にまた専念することにした。鳳くんはやっぱり真面目なので、すぐに集中して作業を再開してくれた。
明日も、跡部に会うことになるだろうか。
その時、どんな顔をすればいいんだろう、と作業を進めながらも頭の隅で密かに考え続けていた。
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